- 心身の不調。自己否定感の強い人は免疫力が弱く病気にかかりやすい。
- 怒りにとらわれている。愛してもらえなかった怒りがずっと心の奥に残っている。
- 自己不振と著しく低い自己評価。繰り返し非難されたことにより自尊心が破壊されている。
- 親を憎みながら親とよく似た行動。子供の頃親より虐待を受けた子は大人になると子供を虐待する。
- 子供返りしやすい。甘える。子供の頃の甘えることが出来ず、満たされなかった思いを取り戻そうとする
- 時間感覚の障害。未来が信じられない。否定的に育てられたので何でもネガティブに考えてしまう傾向がある。
- 記憶能力の障害。過去を我慢し過ぎ、感じまいと過ごしたために過去の記憶が思い出せない。
- フラッシュバック。昔の傷ついた記憶がまるでその場で再現されているように蘇る。
- 離人症。現実に今生きている世界の実感がなく、ベ-ルに包まれて見ているような感覚。
- 生きることの意味が見出せなでいる。無価値感。
次に行動パタ-ンを箇条書きにします
- 何が正常か推測する。
自らの家庭が歪であったため、一般的な正常とは何か分からないと感じています。。
- 物事を最初から最後までやり抜くことが困難。
家庭や両親が子供に対する約束を守ることが稀であり、約束や責任を果たすことの重要性を学んでいません。
- 本当のことを言った方が楽な時でも嘘をつく。
自分の気持ちを抑えて成長してきたので、正直に自己表現をすることを学んでいません。また、正直な自己表現が家庭では許されなかったので、正直に自己表現することを恐れています。
- 情け容赦なく自分を批判する。
親の期待に過剰に合わせて生きてきたので、親の期待に合わせられなかった自分を責める傾向があります。また、褒められることが少なかったので自己価値が低く、自分は褒められるに値しない人間である。まだまだダメだと感じています。
- 楽しむことが出来ない。
親の期待に過剰に合わせた結果自分の感情を抑えこんでいます。したがって生の楽しみ、感情を満たし楽しむことを経験しておらず、更には恐れてもいます。
- 真面目すぎる。
親の期待に過剰に合わせてきたので、好きなことをすることを自分に許可していません。したがって行動も型にはまったものとなり、型よりの逸脱を嫌います。
- 親密な関係を持つことが難しい。
親から愛してもらえなかったという慢性的な淋しさを感じています。人を愛してその愛を失うことを極端に恐れ、その恐れゆえ親密な関係を自ら拒んでいます。
- 自分のコントロ-ル出来ないと思われる事態に過剰に反応する。
自分に自信がないため、不測の事態に対応する能力の欠如を感じています。したがって定型を外れた不測の事態については、自分はコントロ-ル出来ないと恐れています。
- 他人から肯定や意見を常に求める。
自分に自信がないので、自分の意見や行動に自信を持っていません。したがって他者より肯定的な意見を求め安心を得ようとします。
- 他人と自分は違うと常に考えている。
親密な人間関係を形成出来ないなどのハンディから孤独を感じ、孤独感ゆえに自分は人とは違うと感じてしまいます。
- 常に責任を取りすぎるか、取らなすぎるかのどちらかである。
子供の頃より親の期待に沿うために過剰な努力をしてきました。しかし、親の期待のハ-ドルは高く常に沿えるものではありませんでした。
親の期待に沿えればYES、沿えなければNOの二極化思考を見に付けてしまっています。
このあたりまで出来ればOKという、妥協的思考が欠如しているのです。
- 過剰に忠実。無価値なものでもこだわり続ける。
何かにしがみついていることで安心感を得ます。愛情飢餓と関係しています。
- 衝動的である。
子供の頃より自分を抑えてきたので、その反動として我慢が出来ないのかもしれません。
また、つらい現実、家庭を直視することが出来ず、子供の頃より外に目を向け続け、虚しさを満たすために衝動的に好きに行動していることも考えられます。
さて、アダルトチルドレンについていろいろ見てきましたが、とにかく、生きづらいのです。
自分の感情を抑えているのですから当然です。
では、心に傷を負い、現実社会で行きづらさを抱えて生活をしているアダルトチルドレンは、何を自分の拠り所として生きているのでしょうか。
さて、大人になって慢性的な生きづらさを抱えているアダルトチルドレンですが、一体その苦しみの一番の原因は何でしょうか。
私自身の経験から振り返りますと、やはり自分が自分と繋がっていないことだと思います。
分かりややすく言うと、自分が自分を愛していない(自己嫌悪)、自分のことを信じていない(自己信頼感欠如)自分を信じていないので他人も信じられない(対人不信)または、自分がどう思われているかを気にし過ぎて人の視線を恐れる(対人不安)、そして、そこから来る慢性的な不安感。
すべては、自分を信頼していないこと、自分を愛していないことからきているのです。
言い替えると、自分の心の中に自分の居場所を持っていないということです。
自分を信頼していないので、当然自分の中に自分を置くことは出来ません。
したがって存在の空虚さ、慢性的な虚しさを感じてしまいます。
自分であって自分でない、そんな感じです。
では、どこに自分の拠り所、居場所を求めましょう。または、どうやって虚しさの感覚を埋め合わせをしましょう。
ここに、3つの方法があります⇒依存症の発生
- 人に自分の存在を委ねる。
- 何かに熱中する
- 感覚を麻痺させる
人に自分の存在を委ねる(他者の中に自分の居場所を求める)
自分を他者に委ねることは、自分の人生を他者に委ねてしまいます。委ねる方法には依存と支配があります。
- 依存
自己存在の虚しさを他者にしがみつくことによって何とかしようと思います。 恋愛依存症はその代表でしょう。とにかく愛してもらいたい、その気持ちで一杯です。
ですから、依存している相手より見捨てられることの恐れは大変です。
なぜなら、捨てられることは、また空虚な虚しさの世界、一人ぼっちの孤独の世界に放りだされるからです。
- 支配
依存が下からしがみつくというイメ-ジなのに対して、これは上からしがみつくといったイメ-ジです。
他者の自主性を奪い、無力化することによって自分から離れていくことを阻止します。
相手に依存させることにより自分の価値を上げ、自己存在の意義を得ようとするのです。
(この人は私がいないと何なも出来ない)
または、相手を無力化するとまではいかなくても、常に相手のためと一生懸命している人は、相手の必要を満たすことで自己存在の意義を満たしているので、同じことが言えると思います。 親が子を支配する
上司と部下、対人援助職、または、恋愛依存症において見捨てることで相手を脅し支配することも含まれます。
何かに熱中する
何らかの行為に熱中することに、自己存在や自分の居場所を求めます。 この代表が仕事中毒です。
アダルトチルドレンには完璧主義の傾向があります。
常に自分に不信感を持っており、自己価値が低いので、どこまでも完璧にしないと安心感が得られないのです。
したがってこれでもか、というぐらいに仕事をします。
または、仕事の中に自分を見出しているので(人との関係性の中では自分を見出せない)仕事の世界から虚しさを感じる現実世界に出たくはありません。
これに通じるものとして、研究、習い事、趣味、読書、ゲ-ム等、様々な行為の中に自分の居場所を求め、現実世界との遊離感、自分との遊離感の埋め合わせをしています。
これらは適度なものであれば問題はないのですが、過剰に熱中していると、やはり、円滑な人間関係は築けなく、生きづらさを感じると思います。
感覚を麻痺させる
虚しさ、淋しさ、慢性的な見捨てられ感、不安の感覚を麻痺させようとします。
その代表が酒です。
アルコ-ル依存症です。
また、薬物依存もあります。
それから、食べることにより虚しさを満たす方法もあるでしょう。
過食。
度が過ぎると回復まで、大変な労力を要します。
以上3つの代表的な依存方法によって、自分の居場所を作る、虚しさを埋める方法を見てきました。
根本的問題は自分が自分と繋がっていないこと。 それゆえに、自分以外の何かと繋がろうとするのです。
でも、それでは自分が自分の人生を生きているとは言えないでしょう。
そして、常に人に振り回されたり、体をボロボロにしたり、人との円滑な人間関係を築けないなどの問題、悩みにより豊かで幸せな人生を送れません。
では、どのようにして、アダルトチルドレンはこれらの問題から回復をすればいいのでしょうか。
AC回復
アダルトチルドレンの生きづらさより回復した人達をスライバ-と言います。
アダルトチルドレンの生きづらさから回復すると、どうなるのでしょうか。
- 一人でいることが出来る。一人を楽しめる
- 淋しさに耐えられる
- 親のことで過剰なエネルギ-を使わない。
- 自分にやさしい。
- 他人の期待に操られない。
- 自分で選択をして自分で決定出来る。
- 選択をしたことに責任がとれる。
- 自分は世の中に受け入れられていると思える。
これらは、すべて自分の中に自分の居場所があることを意味しています。
他者に惑わされることがなく、自分は自分で居られることです。
では、自分の中に自分の居場所を持つためにはどうすれば良いのでしょうか。
自分が自分を受け入れるため、自分にOKを出すためにはです。
過去を振り返る
自分が子供時代傷ついたことを認めることです。
そして、それは自分にはどうしようもなかったことを認めることです。
過去の心の傷が、反応の仕方が今のあなたに影響していることを認めることです。
自分は本当はこうして欲しかった、こうなりたかったことを思い出すのです。
今の虚しさ、淋しさ、不安、見捨てられ感はいったいどこから来ているのか探すことです。
そして、それらが成長した私達を脅かすほどのものなのかを考えることも必要でしょう。
⇒人から受けた傷は、人を通して癒すしかないのです。
今と未来を変える
さて、十分に過去を認めて話した後は、これからの自分を考えなければなりません。
それは自分がどうありたいのか、どう生きたいのかです。
理想とする生き方や自分のビジョンを描き、現実社会で行動を起こさなければなりません。
過去を癒しただけでは不十分なのです。
自分に自信を付けるには今まで避けていたことをしなければならないかもしれません。
でも、大丈夫、少しの勇気があけば必ず突破出来ます。
自分が自分に居場所を求める、自分を信頼するには、理想とする自分になるために行動をしてそれが達成されたことにより、自分に自信をつけ、その自分を誉めたたえ、さらに、また、次の目標にチャレンジをして達成感を味わう。
この繰り返しが一番大切なのです。
子供の頃親より十分育ててもらえなかった何かを、成長したアダルトチルドレンは自分で自分を育てるのです。
それによって、自己成長や自信が自分に付き、自分を認めることが出来、自分を愛することが出来、自分を信頼することが出来ます。自分の中に自分の居場所を作ることが出来るのです。
また、アダルトチルドレンは人の視線を過剰に気にする傾向がありますが、これは、言葉を変えると他者の気持ちに敏感なのです。
自分を認めたアダルトチルドレンは、自分の生きづらさの原因であったことをプラスに転換することが出来るのです。
すなわち、人の気持ちの分かる自信ある魅力的な人になることが出来るのです。
このように、自分の生きづらさの原因さえも自分の魅力、プラスに変えることが出来るのです。
そして、こんなつらい人生より、こんなにも自信を持て回復したこと自体がすごいことであり、パワ-であり、そのことに誇りを持って今後歩んでいくことが出来ると思います。
今を変えれば未来が変わります。
今を変えれば過去も変わります。
(過去そのものは変わらなくても過去への思いが変わります)
決断するのはあなたです。!
批判精神と思い込み
アダルトチルドレンは自己批判・他者批判を含めて、批判的な傾向があります。
それも情け容赦なく批判をするというのです。
ではなぜ、アダルトチルドレンはそこまで批判的傾向が強いのでしょうか。
その原因をみていきたいと思います。
1 自己批判について
養育者に批判され続け育ってきたこと。これが一番大きな理由です。
本来、親が子供と接する際大切なことは、その子供を無条件に認めてあげることです。
なぜなら、子供は常に親の愛、承認を求めているからです。
ところが親が子供と接する際に、親の高い要求や基準を満たした時だけ子供を認める、もしくはその高い要求や基準を満たしても褒めない、といった事態に問題が生じます。
親が子供に対して高い基準を要求する例としては次のようなものがあげられます。
小さい子供に対して、部屋は常に埃1つなく綺麗に保つこと、習い事のそろばんはクラスで1位を取ること、姉のように賢く振舞うこと、弟妹の面倒をきちっとみること等です。
そして、子供が成長するに従って、テストでは全科目必ず80点以上を取ること、有名中学校に進学すること、習い事の絵で賞を取ること等と延々に高い規準を満たすことを要求してくるのです。
しかし、親の子供を認める要求や規準が高すぎますと、どれだけ努力しても大概の子供はその規準を満たすことが出来ません。そして、このような無謀で高い要求を行い、規準を設定する親は必ずと言っていいほど、要求や規準を満たせなかった子供に対して、批判的な態度を取ります。
「なぜ、出来ないの」「ダメな子」「要らない」「お姉さんを見習いなさい」・・・。
親からこれらの言葉を浴びせられた子供は、本当に自分のことを「出来ない、ダメな、要らない子」と思ってしまいます。
そして、出来ない自分を責めるのです。
また、親の要求や規準を満たそうと頑張って、その要求に応え、規準を満たしたのにもかかわらず褒められないと、「自分が嫌われているから褒めてもらえない、認めてもらえない」等と、やはりその原因を自分に求め自分を責めます。
これが自己批判の原型なのです。
親から褒められない、認められないのは自分が悪いからだ。自分が良い子ではないからだと、自分にその原因があると思い込んでしまうのです。
すべてを自己関連づけてしまうのです。
なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。
実は私たちが客観的に物事を捉えて考えられるようになるには、少なくとも6歳以上の年齢が必要と言われています。
それまでの子供の思考は自己中心的です。すなわちマルかバツ、100か0なのです。
したがって、何をしても親が自分に対して批判的であり、褒めないのは自分が悪いからであると自己中心的に勝手に思い込んでしまうのです。
この観点から考えますと、親の批判的な態度が子供に与える影響は、子供の年齢が幼ければ幼いほど大きくなります。
それは自己中心的な思い込みの影響を成長しても大きく受けるということです。
大人の私たちは、誰かが自分を批判してきたとしても、客観的に物事を考えることが出来、相手の主張の矛盾を指摘することが出来ます。全てに対して自分が悪いとは結論を出さないと思います。
しかし、成長したアダルトチルドレンは不思議なことに、自分に対して好ましくない他者からの評価を感じたり、周囲に対して悪い事態が起こると、その原因は自分にあるのではないか、自分が悪いからではないかと、すべてを自分の責任と推論して自分を批判して責め続ける傾向があるのです。
また、どれだけ頑張って人以上の成果を上げたとしても、それを認めず、出来ていなかった点のみをクロ-ズアップして、出来ない自分とレッテルを貼り、自分を責め続けます。
成長した大人がなぜこのような、根拠のない判断を行い、自己批判をし続けなければならないのでしょうか。
これは、すべて思い込みが原因です。それも、延々と子供の頃から続いている思い込みなのです。
子供の頃の自己中心的な「自分が悪いから親に愛されない」という思いが、「自分は悪い」「自分は出来ない人間」等、中核的な信念を形成して、何事に際しても「自分が悪いからでは」「自分の責任では」「出来ない自分はもっと努力しなければならない」と勝手に思い続けます。
これらはすべて、子供時の「自分が悪いから親に愛されない」という、誤った思い込みを継続しているのです。
これでは、成長の過程においても自分に対する自信や自己信頼感は獲得されず、自己価値も低く当然生き辛さを抱えてしまいます。
では次に、この自己批判とは対極にあると思われる他者批判について見ていきましょう。
他者批判とは自分の価値観規準に合わない他者を批判することです。
でも、なぜ自分に自信がない傾向の強いアダルトチルドレンが他者を批判するのでしょうか。
1 批判の行われている家庭で育った
私たちは親が行っていることを見て学び育ちます。したがって親が他者に対して批判的でありますと、当然私たちも他者に対して批判的傾向になります。
また、親から批判され続け成長した大人は、人に対しては人を批判をすることが当たり前となり、批判すること自体に何の疑問も持たなくなってしまいます。
人との接し方においてその方法しか知らないのです。
2 自己規準を人を当てはめようとする
私たちは何をするにしても自己規準を持っています。例えば、電車の中ではマナ-を守るべき、仕事は余裕を持って取り組むべき、勤務開始の20分前には席に着いているべき、食事は家族皆でとるべき・・・。
人は多くの自己基準、内的規準を持って日々生活を行い、その規準に照らして自分を律していると思います。
さて、この規準が自分に向かっているうちは自分だけの問題として処理出来るのですが、人に向かうと他者批判が起こるのです。
それは、人はなにかと自分の規準を他者の行動にも当てはめがちだからです。そして自分の規準に反する行動を他者が行うと受け入れ難く、反感情を抱くのです。
これが他者批判へと結びつきます。
また、アダルトチルドレンは100か0の中間のない白黒思考の傾向が強く、自己規準についても他者は守るべきと、自己基準からくるべき論を振りかざす傾向があります。
しかし、他者批判の基準はそもそも自分に対する規準なのです。
果たして自己規準で他者を評価判断することは妥当なことでしょうか。
また、その自己規準が厳しければ厳しいほど、あなたの厳しい自己規準を満たす人はどれだけいるでしょうか。
3 優越への欲求
他者批判をするということは、自分はOK、他者はNOのサインを出しているのと同じです。
もし、他者批判している人が自己価値が低いとすると、その自己価値を高めるために無意識的に他者批判を行い優越への欲求を満たしていることが考えられます。
そもそも、アダルトチルドレンは自己価値の低い傾向があり、その反動から優越への欲求が高いのかもしれません。
このように様々な理由、もしくは複合的要因からアダルトチルドレンは厳しい他者批判の態度を取る傾向がありますが、ここに共通していることは、自己中心性と思いやりの欠如です。
すべてを自分の規準で物事見るのは自己中心的であり客観的な根拠が欠けています。また、自分が子供時親より優しく接してもらった経験が少ないので、人に対する思いやり、優しさが育まれていないのです。
さて、ここまで見てきましたが、自己批判の傾向が高い人、他者批判の傾向が高い人、また、自己批判傾向も高くかつ他者批判傾向も高い人がいるでしょうが、これがどのような経緯をたどって分かれるのかは様々な要因が絡んでいると思います。しかし、基本的には、親の子供に対する態度が批判的であったことは共通しています。
そして、何よりも一番の問題は自己批判に代表されるように、子供時に得た根拠のない思い込みを、大人になった今も持っていることです。
根拠のない思い込みは真実ではなく、今を生きる私たちには必要のないものなのです。
また、思い込みに関連して前回お伝えしました、他者との境界の設定も大切です。
自分に対して好ましくない他者からの評価を感じたり、周囲に悪い事態が起こると、その原因は自分にあるのではないかと、自己関連づけて考えること。
これは「自分が悪い」「自分は出来ない人間」という子供時の思い込みの問題と同時に、すべてを自分に関連づける境界の未設定の問題でもあるのです。
子供時からの思い込みと、自分と他者の境界を、セットで見直すことも重要であると思います。
家族・親子間の固定したル-ルと役割の継続
前回、アダルトチルドレンの機能不全家族の問題として、親子間の境界がないことを挙げました。
境界がないと自分を確立することが出来ません。
今回は境界がないこととの関連で、家族間の固定したル-ルの問題と、役割の継続について書きたいと思います。
まず、家族間の固定したル-ルについてです。
例えば親が子供に愚痴を聞かせ続けます。子供は親の話しを一生懸命聞いて親をなぐさめます。
このパタ-ンがずっと続くと、家族・親子間のル-ル、すなわち子が親の愚痴を聞かなければならない、というル-ルが固定されたことになります。
もちろん親子間の境界のないル-ルです。
そして、このル-ルが固定した結果、子供はなだめ役の役割を、親子間において継続して果たすことになるのです。
アダルトチルドレンの子供時の問題は、親子間での境界がないこと、そして、家族・親子間での固定したル-ルの存在と、継続して果たす役割にあるのです。
この問題を抱えたまま、大人になりますと、子供時と同じく、自分と他者の境界がなく、子供時背負っていたのと同じ役割を、大人になっても果たし続けることになります。
先のなだめ役、親の愚痴の聞き役を、子供時の役割として果たして続けたてきた場合、大人になっても他者のなだめ役、愚痴の聞き役に徹することが考えられます。
子供時と同様、自分の本当の気持ちを抑圧して、聞きたくもない話しを聞き続け役割を果たし続けるのです。
これは過去に縛られていることであり、この縛りがアダルトチルドレンの生き辛さの原因でもあるのです。
しかし、大人になった今、子供時家族・親子間で果たしていた役割を継続して果たす必要があるのでしょうか。
ありません。
しかし、無意識的でしょうが、子供時背負っていた役割を大人になった今も、他者との関係において果たし続け、他者との境界が築けないことが生き辛さの原因ともなっているのです。
したがって、過去の親子関係、家族関係を振り返り、どのようなル-ルが存在していたのか、そして、どのような役割を果たしていたのか、そして、その背負った役割を今も継続していないか、振り返ることはアダルトチルドレンの生き辛さからの回復には大切なことなのです。
さて、ここで前回の続きです。
他者との境界がないことについて、詳細を記したいと思います。
「アダルトチャイルドが人生を変えていく本」
アスク・ヒュ-マン・ケア研修相談センタ-編より紹介です。
境界には、身体的境界、感情と意志の境界、責任の境界の3種類があります。
A 身体的境界
身体が安全で心地よく感じられるための境界です。
身体を危険や極度の消耗から守ること、不快な接触をされないこと、自分の所有物や自分の空間を相手に侵されないことが含まれます。
身体的境界を守るための、原則を示しておきます。
1 疲れたら休む
2 自分にとって心地よいかどうかを大切にする
3 あなたのプライバシ-を侵したり、あなたを物のように扱う人には近づかない
B 感情と意志の境界
自分の感情や考えを大切に行動するための境界です。
感じ方、考え方を他人にコントロ-ルされないこと。他人との違いを認めあえること、自分で行動を決定できること、思ったことを言葉にするかどうか自分が選択できることが含まれます。
感情と意志の境界の混乱を避けるための、原則を示しておきます。
1 相手の感情と、私の感情は別。私の感情は私だけのもの。
2 相手の感情について、私は責任を負わない。
3 相手の感情を、私はコントロ-ルしようとしない。
4 私の感情を表現するか、しないかは、私が選択する。
5 私の行動は、私が決める。
6 私の行動を他人がどう評価するかは、私の価値には関係ない。
C 責任の境界
あなたも相手も、自分自身の責任において生きるための境界です。
自他の責任を区別すること、共通の問題について責任とリスクを分担すること、ギブ&テイクの関係を保つことが含まれます。
責任の境界線を引けないと、誰かがあなたにもたれかかることを許したり、あなたが誰かにもたれることになります。関係のバランスがくずれ、不健康なものになってしまうのです。
責任の混乱を避けるための、原則を示しておきます。
1 相手の責任と、自分の責任は別。
私は、自分が乗り出す前に「これは誰が負うべき責任か」を自分に問う。
2 相手に代わって自分が責任を負うことはしない。
相手に対する自分の責任を果たす。
3 相手の問題をなんとかするのでなく、問題に悩む相手に共感する。
4 相手を困難から救い出すのでなく、相手を力づけ、必要なサポ-トをする。
5 相手の問題について責めたり指示するのでなく、事実に直面させる。
いずれにしても、自分と他者の境界をきっちりと築き、自分を守ること、自分に専念すること、他者に侵食させないと、これらはすべて自分を確立するために重要なことなのです。
そして併せて、境界の築けない原因が、機能不全家族で自分が子供時果たしていた役割を、今も継続して果たしていないか振り返ることも重要なのです。
自分を持つ 境界の大切さ
アダルトチルドレンは機能不全家族の出です。
機能不全家族の特徴は親と子供の境界がないことがあげられます。
本来親と子は別の人格を持っており、各々の個は尊重され、安全な家族生活を送るべきですが、機能不全家族では子供の個は尊重されず、親子の境界は曖昧です。
例えば過干渉。
常に親が子供をチェック、監視します。すると子供は常に何をするにしても親の視線が気になります。これは、何かする際またはその後、親のチェックから文句を言われないか、怒られないかを気にしているのです。
すると、何をするにせよ怒られないようにと親の視線を伺い、本来自分のしたいことや方法ではなく、親に怒られないためにしたいことを抑えたり、したいこととは別の方法で行うのです。
このように育てられた子供が大人になりますと、何をするにせよ周りの視線を意識するようになります。
子供時に親と子の境界がないと、大人になっても自分と他者の境界がなく、何をするにも他者の視線を意識するようになるのです。
また、親に放任され続けた子供はどうでしょうか。子供は小さいながらも思います。親が自分の面倒をみてくれないのは自分が愛されるのに値しないからだと。
そうすると大人になりますと、今まで得られることのなった愛を過剰に求め、他者との一体感、関係性に執着します。
これも自分と他者の境界がありません。
したがって、子供の時親と子の境界がないと、大人になっても自分と他者の境界のある関係を築きにくいのです。
では、自分と他者との境界を持つとはどのようなことなのでしょうか。
心理学の本や講座でよく言われている次の言葉。
「あなたはあなたでいいのです」
この言葉は、「私は私でいいのです」と読み替えることが出来ます。
すなわち、私は私でいいということは他者の視線を意識することもなく、他者にしがみつくこともなく、私は私でいられるということです。
でも、言うのは簡単です。
それが出来なくて困っているのですから。
では、自分が自分でいられるために必用なものは何でしょうか。
それは、自分に専念することです。
他者に専念するのではなく自分に専念するのです。
例えば自分の意見や話す時に他者の視線や顔色ばかり伺っている人は、自分に専念しているのではなく、他者に専念しています。
でも、他者とのコミュニケ-ションで大切なことは何でしょうか。
それはきっちりと自分の意見を伝えて自分の主張や気持ちを理解してもらい、また、それに対する相手の反応を見て、他者理解に勤めることです。
相手の視線や顔色ばかり伺っていたのでは、自分のいいたいことは言えず、結局は理解されない存在となってしまいます。また、自分自身悲しくなってしまうのではないでしょうか。
では、なぜそこまで相手の視線や顔色を気にするのでしょうか。
代表的な例としては、「拒否されたくない」「悪く思われたくない」「バカにされたくない」等、自分に対する否定的評価を怖れています。
誰だって拒否されたり、バカにされたりされるのは嫌なものです。
しかし、ここで大切なこと。
拒否する、バカにする態度を取るのは誰ですか?
答え。コミュンニケ-ションをした相手です。
これは、相手が自分に対して勝手な態度を取っているのですから、どうしようもないのです。
相手が自分に対してどういう態度を取るかは、それは相手が選択してその態度を取るのです。
私たちには相手の反応・態度はコントロ-ル出来ません。
そして、相手の反応、態度は相手の選択責任でもあるのです。
したがって相手の反応や態度をコントロ-ルすることは不可能なのです。
人とのコミュニケ-ションで大切なことは自分の思っていることを率直に、相手の気持ちを考慮(相手を傷つけることなく伝える)して伝える。
これだけです。
これが自分に専念するということです。
相手の反応に気を使うということは、相手の態度、反応及び選択に責任を負うことです。
私たちが責任を取れるのは自分自身の自己表現のみであり、それに相手がどういう態度、反応するかまでの、相手の責任までは取れないのです。
そして、もう1つの例。他者との関係にのめりこむ場合にも、自分に専念することは有効です。
他者との関係にのめりこむパタ-ンの代表は恋愛依存です。
恋人からの見捨てられることへの不安から、常に恋人とつながっていることを確認します。
しかし、これも自分に専念して、今するべきことに専念していれば、そんなに恋人のことばかり過剰に考え続けません。
恋人が今何をしているか、見捨てられるのではないかと考え続けることは相手に専念しているのです。
では、自分に専念するために重要なものは何でしょうか。
自己信頼感、自分を信じるということです。
先の相手の顔色を常に見ている場合も自己信頼感の欠如が一番の問題です。自分が自分を信頼出来ない評価出来ないということは、その評価を他者に委ねなくてはならず、常に他者評価を気にしてしまいます。
また、恋愛依存においても自分が自分としっかりつながり自分を満たしていれば、過剰に他者とのつながりを求めることもないでしょう。
恋愛依存の場合常に恋人が自分を見捨てるのではないかと恋人を疑っています。恋人を信じていません。でも、自分を信頼出来ない人間がいかに他者を信頼することが出来るのでしょうか。自分にOKを出せない人は真に他者にOKを出せません。
また、見捨てられる不安の場合は自ら抱えている漠然とした大きな不安感もその原因となっています。先ほど恋人に専念していると書きましたが、実はこの漠然とした自分自身の不安にも専念しているのです。
これも、自分が自分を信頼出来るようになると不安に支配されることはなくなると思います。
自己信頼感の獲得。
私のカウンセリングでも目指す大きな課題です。
自己信頼感の獲得は人それぞれ抱えている問題により獲得の経緯が違ってきます。
ですから、人それぞれ抱えている問題の本質に対して、人それぞれそれを乗り越えるための行動化の促進が必要となってくるのです。
焦らず取り組むことが大切だと思います。
同情の絆
今回は親と子の同情の絆について書きたいと思います。
アダルトチルドレンの親子関係で問題となるのは、子の親に対する同情です。
親の子に対する同情ではありません。親が子に同情心を持つのは普通のことです。
では、なぜ子の親に対する同情が問題となるのでしょうか。
その前に同情につきまして、その言葉の意味を明確にしたいと思います。
同情「差し迫って困っている相手の苦しみ、悩みを、相手の立場に立って理解してやり、そのうちに、いい目も出ることが有るのだから、しっかり生きるようにせよと温かい言葉をかけること」:新明解 国語辞典 三省堂刊。
簡単にまとめると「相手の立場に立ってその気持ちを感じ理解して、温かく励ます」こう捉えてもいいかもしれません。
では、再度子の親に対する同情の問題に話しを戻します。
子が親に対して同情の気持ちを持つ、それ自体は特別に問題はありません。
この同情が問題となる場合は、過剰に同情をして、同情が攻撃、罪悪感と結びついた時なのです。
そして、この過剰な同情の根底には、同情により子を自分の味方につけるという親の意図が見え隠れします。
すなわち、同情により子を縛り自分の側から離れないようにして、運命協同体(永遠の味方)を形成しようとするのです。
そして味方。味方につけるとは何に対してから味方につけるのでしょう。
考えられることは外敵です。外敵とはすなわち子から見ての片方の親。すなわち母親か父親。または親戚、近所等が考えられます。
日本の親子は母子密着と言われています。
したがって母と子の同情の絆は注意が必要です。
特に母と娘。
この同情の絆は要注意です。
では、2例あげます。
いずれも、母と娘です。
そして、2例共通の前提として夫婦の不仲があります。
1 同情が攻撃と結びついた場合
母が娘に言います。あの男(父)と結婚するのではかったと。そして、父親の愚痴を延々と聞かせるのです。娘は母の愚痴を聞き、母に同情して、母を悲しませる父を悪者と認識するようになり、父に対する敵対心と怒りで満ちるのです。
まんまと母の戦略にひっかかり、母の味方となったのです。そして、娘と父の仲を引き裂いたのです。
娘は父を敵として、父を憎んで成長するでしょう。
しかし、やがて成長した娘は感づきます。
何かおかしいと。
娘は今までの、母から刷り込まれた主観的(思い込み)な父親像ではなく、父を客観的に見るようになります。
すると、母の言っている方が、父に対する事実と違うと思えてきて、やがてそれは確信に変わります。
「だまされた」と気付き、激怒するのです。
今までの自分の父に対する態度は何であったのだろうか、すべては母の言うことを信じたから。
娘にとっては父とのかけがいのない時間を失った悲しい事実は、今度はそれを仕掛けた母に対して憎しみと怒りを持ち、攻撃となってその対象を変えるのです。
母は娘にしかけた同情の罠、絆によって、今度は娘から攻撃されるのです。
自業自得でしょうか。
でも、この親子(父、母、娘)、すべての関係性がバラバラとなってしまい、修復出来ないかもしれません。
2 同情が罪悪感より幸せを許さない場合
母は常に娘に自分の不幸な身の上を嘆き続けます。
娘は母の可愛そうな生い立ち、夫婦関係にすっかり同情してしまい、前述の攻撃の要素を持つと同時に、より強力に母に寄り添おうとします。
その結果自らの人生に誓うかもしれません。
母を置いてどこかへ行ってはいけない。母より楽しんではいけない。
母より楽しむこと、母より幸せになることに罪悪感を覚え、究極は母より幸せになってはいけないと思い込むのです。
すなわち、方法論は別として、母と同じく不幸せな道を選択するのです。
仮に恋人が出来たとしても、自分が母より幸せになってはいけないと自分に誓っていると、それ以上恋愛関係は発展しないでしょう。
そして、結婚することもなく幸せを手にすることも出来ないかもしれないのです。
母に生涯より沿い、母の愚痴を聞き続け、なだめ役に徹して、母のために生き、自分の人生を生きることをやめてしまうのです。
(例1と例2の違いはどこにあるのでしょうか。違いは娘が、父に対する事実に気づいたかどうかです。例2の場合は事実に気がつかなったのか、母の嘆きが誇張であるにせよ、娘も同じように感じているのかもしれません。しかし、いずれにせよ、これは夫婦の問題であり子が責任を負うことではありません)
さて、ここまで親による子を取り込む戦略、同情により子を味方につけ縛る方法を、母と娘を例として書いてきました。
2例とも夫婦関係、夫婦の不仲から子供を味方につけようとして始まっています。
子供を味方につけるため、片方の親の悪口や自分の愚痴を言い続け、聞き役に徹している子供の同情心を誘います。
そして、子供を自分の中に取り込み、運命共同体を形成していくのです。
しかし、逆に考えると夫婦関係に問題がなければ、このような事態は発生しないのではないかということです。
アダルトチルドレンは機能不全家族の出です。
夫婦仲が悪く、親が子供に愚痴を聞かせ取り込むことは、親と子の境界がなく、子供の個が尊重されておらず、機能不全家族といっても問題はありません。
しかし、夫婦関係がしっかりとしており、それにより上述2例の事態が発生しないのであれば、機能不全家族の問題の根源の1つとして、機能不全夫婦の問題が上げられるのではないでしよぅか。
機能不全家族の問題としては世代間連鎖の問題(アダルトチルドレンの親は、その親もアダルトチルドレン)があげられますが、親が自身のアダルトチルドレンの問題を克服、もしくは気付いているのであれば、例え夫婦の間に問題があったとしても、自分の子供に自分と同じ生き辛さを体験させてはならないと考え、子供を呑み込むようなことはしないと思います。
また、より健全な方法としていかに夫婦関係を良くするか、そちらにエネルギ-を向けるでしょう。
健全な夫婦関係も機能不全家族の連鎖を止めるのに大変有効なのです。
親に対する罪悪感について
アダルトチルドレンの機能不全家族の大きな問題の1つに、親と子の境界がないことがあげられます。
では、親と子の境界がないとはどのようなことでしょうか。
具体的には親の価値基準、判断基準、親の発する言葉等が子供の人生を縛ると言ってもいいかもしれません。
例えば親の期待に応えなければならないという縛りがあるとします。もちろんこの縛りの前には常日頃親が子供に対して、親の何らかの期待を言い続けたり、期待に応えた時だけ子供を褒めたり、期待に応えない子供を無視したりと、常に親の期待を子供に刷り込ませるのです。そして、子供はその家庭で生き延びるためには親の期待に沿うしかなく、成長した子供は、意識的無意識的にせよ、常に親の期待に沿うようにと自分の人生を考え、親の期待に基づく人生を歩みます。
次の例です。親が常に子供の容姿をけなし続けたとしたらどうでしょう。子供は親からけなれた言葉の容姿のイメージをいつまでも持ち続け、自分自身に対する客観的な評価が出来ず、親からのマイナスの評価で自分を見続けてしまうかもしれません。まさに親の発した言葉が呪いのように子供を縛りつけるのです。
この2つの例、ともに親と子の境界がありません。2例とも親の期待や、親の醜い言葉を自分の規準、自分の評価としており、その結果自分の人生を歩むことや、自分自身の自己評価を築くことが出来ません。親の評価・価値・言葉が自分自身の判断評価基準になってしまっているのです。
さて、ここまで親と子の境界のない例をみてきました。
これをイメージするならば、親が子供を呑み込むイメージです。
ですから、子供は成長して大人になっても、常に親に呑み込まれており、親の期待、言葉に子供の時と同様縛りつけられ、自分自身自由に自分の人生を歩くことが出来ないのです。
したがって、成長したアダルトチルドレンは親から精神的に独立、自立すること、自分自身の判断評価を確立すること、そして親の縛りを解き放つことが自分の人生を歩むうえで一番大切なのです。
さい、ここから本題です。
今回は「親に対する罪悪感について」とタイトルをつけました。
私がアダルトチルドレンの方のカウンセリングをしていると不思議に思うことがあります。
それは、親を憎みながらも、親を嫌いながらも、何か親のことを過剰に気にしているのです。
親子だから当然という意見もあるかもしれませんが、この、親に対する気遣いが自分の生き辛さになっていることが多々あるのです。
そして、この気を遣うということが罪悪感に基づくことが多いのです。
例えば、親と子は経済的に独立をして別々に暮らしています。
しかし、親は子離れが出来ておらず、未だに子供に対して自分の価値や期待を押し付け、かつ、顔が見たいと要求して、子供に対して週末は実家に帰ってこいと電話で指示します。
アダルトチルドレンの子供は、実家に帰る必用はないと思いながらも、帰らないと親が悲しむと気を遣い、親を悲しませてはいけないと罪悪感を抱き、嫌々ながらも実家に帰るのです。
そして、その結果、親の価値判断や期待の言葉、または雑言を浴びせられ、不快な思いをして、落ち込んで自分の家に帰ってくるのです。
そして、誓います。
「二度と行くものか」と。
しかし、またしばらくして親から連絡が入ると罪悪感を感じて、実家に帰り同じことを繰り返すのです。
一体、この親に対する罪悪感は何でしょう。
実は私も経験があります。
まだ大学生の時です。私は結婚をしないで一生母親の面倒を見ようと、わけの分からないことを思っていました。結婚=罪なのでしょうか。
なぜ、こう思っていたのか当時は分かりませんでしたが・・・。
それから、この親に対する罪悪感の問題ですが、親とは母親を示すことが臨床体験上多いです。
では、なぜここまで親に対する罪悪感を抱かなければならないのでしょうか。
自分が親から離れて自由にすることに対して、なぜここまでも罪悪感を抱くかです。
アダルトチルドレンは子供の時、親から散々に支配されてきました。
上述のように親の期待、評価、価値観に合わせる、それ以外にも親の愚痴を聞く、親の精神的面倒を見る等、親が子供を支配をするつもりがあろうがなかろうが、常に子供は過剰なまで、親を意識して生きてきたのです。
親の顔色を伺い、親の期待に合わせようと、認めてもらおう、元気になってもらおうと、悲しませないでおこうと、精一杯親に合わせて生きてきたのです。
そのため健全な親子の境界は築けませんでした。
そして、そのような子供時を過ごした子供は大人になっても、親に対する意識をすぐには払拭出来ないのではないでしょうか。
機能不全家族でなくても子供は親を意識します。
しかし、機能不全家族、アダルトチルドレンはその親に対する意識が過剰過ぎるのです。
子供の頃過剰なまで親を意識してきたので、大人になってもやはり過剰に親を意識しており(この意識とは無意識的であることが多いと思います)、自分が親の要求を満たせないと感じると、感じなくてもいい罪悪感を勝手に抱いてしまうのです。
では、ここで大切なことは何でしょうか?
それは、アダルトチルドレンが親に対する罪悪感を持たないことです。
今まで親の期待、価値、言葉に合わせ過ぎて生きてきました。
これは親の期待、価値、言葉を子供が背負うことを意味しています。
しかし、本当に必要なことなのでしょうか。
親の期待、価値、言葉等はすべて親のものです。
私たちには関係ありません。
親に対する罪悪感の問題で大切なことは、親と子の境界の設定を引くことなのです。
子供の頃様々な問題を設定することが出来なかった境界を引くのです。
親に惑わされず、自分の人生を歩むのです。
親は親、自分は自分。
互いの個の尊重が大切です。
もう1度書きます。アダルトチルドレンが親からの精神的独立のために一番大切なことは、親と子の境界を確立することです。
そして、境界を侵入された際は毅然たる態度を取り、境界を守ることも必用なのです。
私たちが変われば親も変わるのか
私たちが変われば親も変わるのか?
皆さんはこのテ-マについてどう思われますか?
これは当たり前のこたえになってしまうのですが、親によって反応が違います。
例えば、子供(ここでいう子供とは成人のことです)が人付き合い出来ないことで悩んでいる親がいます。親は薄々自分たちの育児態度が原因で子供が人間関係を築く能力がないことを知っています。そして、子供が自己努力の結果、人間関係を築くことが出来るまでに成長しました。すると親も子供の日々の態度や顔つきの変化を見てとり喜びます。
そして、自分たちの至らなさを反省しながらも、子供の成長に合わせ、親の態度、顔つきも明るいものに変わっていくのです。
この例は子供の変化に合わせ、親も反省をして、さらには親の表情までよくなっていく好例です。
子供が変わると同時に親も変わったのです。
では、実際このような好例はどれぐらいあるのでしょうか?
統計がないのではっきりとは書けませんが。
あまり期待は出来ないように思えます。
さて、上例は子供が努力して変わって、自然と親も変わっていく例でした。
では、どれだけ子供が自己変革の努力を達成して、その内面や態度振る舞いがかわっても、親が変わらない場合(例えばあいかわらず押し付けがましい、支配的、無理解・・・)。
私たちは親に対してどういう感情を抱けばいいのでしょうか。
自分の生き辛さの原因を知ったこと、物事の捉え方が変わったこと、感じ方が変わったこと、過去の見方が変わったこと、過去を受け入れたこと、新たなスキルを手に入れたこと。
「自分は変われるんだ。自分は変わったんだ」
今まで抑えていたフタが取れ、エネルギ-に満ち溢れたこの新鮮な気持ちを誰かに伝えたい。
分かります。
では、この素直で純粋で新鮮な気持ちを親に知らせる必要があるかどうかがポイントです。
自分が変わったことを親に知らせて何を親に望みますか?
もし、伝えたいと思うのであれば何を伝えたいと思っているか、その背後にある感情を理解したうえで行ってください。
前回も書きましたが、多くの場合は親は親でなかなか自分の非を認めないものなのです。
それは、親も一生懸命生きており、子供の育て方については、そのやり方しか知らなかったからです。
子供が自分が変わったということを親に知らせるということは、まったく悪気がないとしても、親の立場に立つと自分が否定されているような気持ち、攻撃されているような気持ちを抱くかもしれません。
私たちがアダルトチルドレンであるということは、その親もアダルトチルドレンです。
根っこは同じです。
そして、子供がアダルトチルドレンの問題を受け入れ変化するというとは、進歩していることを示します。
しかし、残念ながら親は進歩としていないのです。いや、アダルトチルドレンという言葉すら知らないかもしれません。
ですから、進歩、進化のレベルが違うので同じ視線に立って、この問題について話すことは難しいのです。
方や理解しており、方や無知なのですから。
自分は変わったんだという気持ち。
大切です。
でも、それを理解してもらう相手は選ばなければなりません。
同じ悩みを抱いたり、同じく回復を目指していたり・・・。
自分を理解してくれる人でないと、自己開示は危険です。
さて、私たちず変わると親が変わるのか。
最後に最も危険なパタ-ンです。
それは、親が子供を変わらせまいとしがみついてくる場合です。
例えば子供は自立を目指して家を出ました。すると、親の方から毎日状況確認の電話、帰って来いの催促、たまに家に帰ると以前と同じような過干渉、暴言、否定等。
実家に帰ったとたん憂鬱になってしまいます。
そして、この憂鬱感は家(1人暮らし)に帰っていも持続してしまいます。
親は子供を手放すまい、自分が支配をしておきたいと必死なのです。(但し、このことについては親は意識せず、無意識の領域で行っていると思いますが)
そして、どこまでも追いかけてきて子供を精神的に苦しめてしまうのです。
このような親にいかに向き合うか、距離と時間と心の限界、これらを考慮してどうするのか。
これは個々人によって結論が違ってきます。
いずれにせよ大切なものは何か。
この結論により行動・態度は変わってくるでしょう。
親を謝らせることは出来るのか
アダルトチルドレンの方のカウンセリングをしていると、「今までのことを親に謝って欲しい」という言葉をよく聞きます。
これは、今までの親の子供に対する態度について、親に反省をしてもらい謝罪してもらいたいという、気持ちの表れだと思いますが、はたして可能なことなのでしょうか。
まず、どうやって親に謝罪をさせるつもりなのでしょうか?
謝罪をさせるということは、「お前が悪い」ということを認めさせようとする態度です。
すなわち、自分が今生き辛いのは、父母の育児態度の問題からこうなった、謝罪しろと相手を責めるわけですから、責められた父母がそれを認めて謝るかどうか・・・。
自分の生き辛さと親子関係、育児態度の関係を論じて親の気持ちが動くかどうか疑問です。
その理由を下に紹介します。
まず、親もまたその親から同じような育てられ方をされた可能性が高いということです。もし、そうなら親の言い分としては「自分もそうして育てられた、なのにお前はどうしてそれが出来ない、耐えられない」となります。人は自分を規準として物事判断します。自分が基準ということは自分が正しいということです。ですから、子供の言うことに聞く耳もたないのです。
次に親の精神的問題として子供を私物化していることがあげられます。私物化とは自分の持ち物として扱っているわけですから、持ち物が自分に逆らうことは考えられないということです。子供は自分の意志を持ち意志に基づく行動をしてはいけないのです。親子関係は1対1の人間関係ではないのです。
親としての自負。子供を自分が育ててきたという親の自負があります。これは、アダルトチルドレンの親に限らず、大概の親はこの自負を持っているのではないでしょうか。
親は親で子供を育てるために、経済の維持、家の維持等のため大変な苦労と努力をしてきました。そこに、いきなり子供の方から、自分の生き辛さと親子関係を論じられても、訳が分からず、また親の自負心を傷つけるものになりかねません。
また仮に親も自分の息子、娘が生き辛さを抱えているのを知っており、何か自分の育児態度に問題があったと思っていたとしても、子供が正面きって自分の生き辛さと親子関係を論じてきたとしたら、親も守りに入り、子供を攻撃してくると思います。これも親の自負です。また、人は自分が非難されていると感知すると自動的に守りに入るものなのです。
いずれにせよ、親を謝らせるということは極めて難しいのです。
でも、ここで考えてみましょう。
仮に親が謝ったとして、あなたの人生変わるのでしょうか?
あなたの人生の豊かさにつながるのでしょうか。
親が過去のあなたに対する態度を謝ったとしたら、親子関係の問題が改善されるという効果を期待されるのかもしれません。
しかし、本当にそうですか。
親が仮に謝ったとしたら、親が自分の非を認めたことになります。
ということは、あなたは自分が正しいという認識を持つわけです。
ここに自分は正しく、親は間違っているという図式が成立するのです。
もし、この式を常に振り回したとしたらどうでしょう。
「親は間違っていた」「自分は正しい」常にそう思い、そういう態度で接することになるのではないでしょうか。
もしそうなら、これはパワ-ゲ-ムです。
いずれ親の逆襲もあるでしょう。
お互い理解し合うことなく延々と争いを繰り返すことにもなりかねません。
親を謝らせる。
本当に必要なことですか?
私は言いませんが、よくカウンセラ-が「親の気持ちも考えてみたことありますか」と質問されることが多々あるようです。
それで自分の生き辛さから回復されるわけでもなく、親子関係がよくなるとも思えないのですが。
でも、親は親で苦労してきたこと、また、親もアダルトチルドレンであることを考えてみると、これは、親の問題というより、アダルトチルドレンの世代間連鎖の問題であると鮮明に思えるかもしれません。
誰のせいで自分が生き辛さを抱えているのか、犯人探しはやめた方がいいでしょう。
これは、血縁の問題、世代間連鎖というシステムの問題なのです。
そして、生き辛さを抱えているのは自分の問題です。
なぜ、自分が生き辛さを抱えているのか理解することは大切です。
でも、理解したあとは、自分の生き辛さをしっかりと自分自身が受け入れ、自分の問題として解決していくことが大切なのです。
私たちは人を操作、変えることは出来ません。
変えられるのは自分だけです。
では、ここで疑問です。
自分が変われば親も変わるのでしょうか?
次回はこのテ-マで書きたいと思います。
親と子の生殺与奪
今回の内容について。
親子関係、機能不全家族関係の悩みで生き辛さを抱えている真っ最中の方は、読まないことをお勧めします。
アップしようかどうか悩みましたが大切なことと思いアップします。
しかし、読まれた後、気分を害されても責任は持てません。
ご自身で判断のうえお読みください。
親は子供に対する支配により子供の人生を抹殺することが出来ます。
子供に対する過剰な期待や支配心から、過干渉、おどし、罵声、暴力等により、子供の意志と自由と感情を抑圧して、心、個性、人間らしさを抹殺するのです。
一例をあげます。
親が子供に対してエゴに基づく期待(将来は外科医にするため)により、小学生高学年の子供に1日12時間以上の勉強を強いたとしたらどうでしょう。
その子供は勉強が嫌いでしかたありません。友達と遊びたいと思っています。
しかし親は強制的に勉強をさせようとします。
親は子供に対して、いかなる手を使い支配(勉強させる)するのでしょうか。
「勉強をしないのなら出て行け」「バカはさっさと勉強しろ」等の過干渉、言葉の暴力に始まり、やがて叩く、殴る等行き過ぎた行為態度に出てくることもあるでしょう。
このようにして、親は完全に子供の人格を踏みにじって接してくるのです。
人格を踏みにじられ、勉強を押し付けられた子供は、どのような心理状態になるのでしょうか。
勉強が嫌な気持ち、したくない気持ち、逃げたい気持ち、または勉強をしても成績があがらない場合は無力感、罪悪感、悲しみや怒り等の自分の本当の気持ちを抑圧して勉強机の前に座り続けることでしょう。
そして、何を言っても理解してもらえない慢性的な悲しみと怒りを感じ、またはその悲しみと怒りさえ、机の前に座り続けるのに邪魔なものであれば、感情を排除して無感覚、無感情に徹して、自分を殺して親のために勉強し続け、苦痛に耐え続けるのです。
さて、今回は親と子の生殺与奪について書いていますが、「勉強をしないのなら出て行け」この親のセリフ。まさに親の子に対する生殺与奪です。
親の期待に応えず、言うことを聞かないのなら出ていけ。お前を養ってやる代わりに親の言う通りにしろという親のエゴに基づく自己主張。身勝手以外何ものでもありません。親の支配権行使による、子供に対する生殺与奪なのです。
出て行きたくても、出ていけない子供は親の言う通りにするしかなく感情を抑圧して自分を殺すのです。
親は子供の肉を生かす代わりに、子供の心を殺すのです。
心を殺された子供は親に従うしかなく、自分の心を完全に抑圧して生き続けることになるのです。
やりたくないということをはっきり意識しながらも、そこからくる止めたい気持ち、逃げたい気持ち、心の叫びを抑え続け、無感情、無気力、無反応になっていくのです。
さて、迫害者は犠牲者へ。
犠牲者は迫害者へ。
立場の逆転が転じる時が来る時もあります。
子供からの親への反撃です。
まず、2パタ-ンみましょう。
親から押し付けられていたことに対して我慢出来なくなった瞬間切れるのです。
家の中を滅茶苦茶にしたり、親を殴ったり、外で暴れまわったり、溜まりに溜まった怒りのエネルギ-が大放出されたのです。
でも、これは正常な反応です。
誰だって抑圧され続けたらどこかでぷっつんするものです。
そして、次の例が怖い例です。
子供による親殺しです。
子はなぜ親を殺すのでしょうか。理解出来ますか?
なかなか理解出来るものではないと思います。
でも、私は何となくですが、ケ-スによってはその気持ちが分かるような気がします。
では、3パタ-ン見てみましょう。
ひとつは先ほどのぷっつん。衝動です。
我慢し続けてきました。そして、これ以上耐えられないと瞬間的に前後のことを考える間もなく凶行に及ぶのです。
そして次。
積もりに積もった憎しみの果て、何かのきっかけで怒りの炎により視野が狭くなり、冷静さが一時的に失われ凶行に及ぶのです。ぷっつん、衝動というより怒りに全身が覆われるそんな感じでしようか。そして事が終わった後で大変なことをしてしまったと冷静になり自首します。
3パタ-ン目。
衝動で殺すのではなく、無感情、無感覚、投げやりな気持ちで凶行に及ぶのです。
もう、どうでもいいような気持ちではないでしょうか。
直接殺害に及ぶ場合もあるかもしれません、または親、家族の巣である家を燃やそうとするかもしれません。この時、家を燃やしたら親兄弟が巻き添えになるかもしれません。でも、この時子供は認識しています。巻き添えで死んでも構わない。どうでもいいのです。
彼らは凶行に及んだ後ゲ-ムセンタ-にいたり、公園で寝ていたり、逮捕時後悔の念がないことがあるとよく報道されています。
それはどうでもいいからです。言葉を変えると無感情、無感覚、起こした出来事に対して感じる感覚が麻痺しているのでしょう。
逆に言うとここまで追い込まれてしまった。
感じる心を潰されたのです。
機能不全家族の子供が親を殺すとすれば、その子供の心はそれ以前に親により殺されているのです。
また犯罪を起こした子供も罪に問われます。
いくら親が憎いといえ殺人は懲役です。一瞬の感覚に身を任せて凶行にはやり、罪を一生背負うのも、それこそ人生を潰してしまいます。
また、犯罪は起こしてはならないものなのです。
このような悲惨なことが起こらないためにも、常に親と子の意志疎通、心の交流、コミュニケ-ションは大切なのです。
そして、未熟な大人が結婚して機能不全家族を形成して、子供の心を潰さないためにも、親になる者を対象とした親業のための教育、カウンセリングも必要ではないでしょうか。
アダルトチルドレン(共依存)チェック表
「フリエルのアダルトチルドレンと共依存の診断一覧表」
質問に対して、はい、いいえ、で答えてください。
1
私は毎週、自分のことをするために十分な時間をとっている。
⇒はい 0 いいえ 1
2
だれかといっしょにいた後で、長い間自己批判をする。
⇒はい 1 いいえ 0
3
人が自分のことでなにかを知ったとしても、いやな気持ちはしない。
⇒はい 0 いいえ 1
4
ときどき自分がずいぶん無駄な時間を過ごしていて、何もできないと思う。
⇒はい 1 いいえ 0
5
自分のことはちゃんとできる。
⇒はい 0 いいえ 1
6
ほかの人が誰かをじゃましているなどと、当人に言わないのが一番だと思う。
そんなことをしたら、ケンカになったり人を怒らせることになる。
⇒はい 1 いいえ 0
7
私の成長期には、家族のコミュニケ-ションがよかったので嬉しく思う。
⇒はい 0 いいえ 1
8
ときどき、自分がどう思っているのか、わからなくなる。
⇒はい 1 いいえ 0
9
親密で愛情ある生活に満足している。
⇒はい 0 いいえ 1
10
最近、疲れを感じる。
⇒はい 1 いいえ 0
11
私の成長期、家族の問題をオ-プンに話すのが好きだった。
⇒はい 0 いいえ 1
12
私は悲しいときや怒っているときに、幸せそうに見られるときがある。
⇒はい 1 いいえ 0
13
自分の人間関係の量や種類に満足している。
⇒はい 0 いいえ 1
14
たとえ時間やお金があったところで、自分の休暇をとっ
ても楽しいと思わないだろう。
⇒はい 1 いいえ 0
15
毎日するべきことすべてに、十分な手助けをしてもらっている。
⇒はい 0 いいえ 1
16
今していることよりも、もっとたくさんのことをやれたらよいのにと思う。
⇒はい 1 いいえ 0
17
私の成長期に、家族は感情や愛情をオ-プンに表現するように教えてくれた。
⇒はい 0 いいえ 1
18
権威を持つ人(上司や先生)に話しかけるのは、むずかしい。
⇒はい 1 いいえ 0
19
非常に複雑で込み入ってきそうな関係のなかにあるとき
そこから脱出するのはむずかしくない。
⇒はい 0 いいえ 1
20
自分はだれなのとか、どんな人生を歩みたいのかという
ことを考えるとときどきひどく混乱してくる。
⇒はい 1 いいえ 0
21
自分の処理欲求の仕方に満足している。
⇒はい 0 いいえ 1
22
自分の仕事は不満だ。
⇒はい 1 いいえ 0
23
自分の問題はたいてい穏やかに、そして直接処理する。
⇒はい 0 いいえ 1
24
人を傷つけたくないし、人に悪く思われたくないので自分
の感情をおさえることが多い。
⇒はい 1 いいえ 0
25
自分が「決まりきったつまらない生活をしている」と思うことはほとんどない。
⇒はい 0 いいえ 1
26
友だちとの友情に満足していない。
⇒はい 1 いいえ 0
27
だれかが私の感情を傷つけたり、私のいやなことをして
もその人にそのことを言いにくい。
⇒はい 0 いいえ 1
28
親しい友人や肉親が、私がしてあげようと思っている以
上のことをして欲しいと頼んだ場合、とにかくまず「はい」
と言うことが多い。
⇒はい 1 いいえ 0
29
新しい問題と取り組むのが好きで、その解決方法を見つけるのが得意である。
⇒はい 0 いいえ 1
30
自分の幼児期は、あまりよくなかったと思う。
⇒はい 1 いいえ 0
31
自分の健康は、そんなに心配していない。
⇒はい 0 いいえ 1
32
だれも本当の自分のことをわかっていないと思うことがよくある。
⇒はい 1 いいえ 0
33
私はいつもだいたい落ち着いて安定していると思う。
⇒はい 0 いいえ 1
34
自分の望んでいることを頼むのは難しいと感じる。
⇒はい 1 いいえ 0
35
ほかの人には、私が許せる以上に私は利用させない。
⇒はい 0 いいえ 1
36
親しい人間関係のなかで、最低一つは不満なものがある。
⇒はい 1 いいえ 0
37
大切な決定をするのは難しくない。
⇒はい 0 いいえ 1
38
新しい状況では、自分を信じたいと思うほどには信じられない。
⇒はい 1 いいえ 0
39
いつ腹蔵なく話しをするか、いつ人の希望を聞くかということが上手にわかる。
⇒はい 0 いいえ 1
40
仕事以外の時間がもっとあればいいのにと思う。
⇒はい 1 いいえ 0
41
自分がそうありたいと思う程度に、自然体でいられる。
⇒はい 0 いいえ 1
42
一人でいることはむずかしい。
⇒はい 1 いいえ 0
43
私の愛する人が私のじゃまをしたら、そのことを難なくその人に言うことができる。
⇒はい 0 いいえ 1
44
ときどき一度にいろいろなことが起きて、どれひとつしてちゃんとできない。
⇒はい 1 いいえ 0
45
ほかの人が私の生活のなかにかかわってきたり、「本当
の私」を彼らに知ってもらうことは、とても気分のよいことだ。
⇒はい 0 いいえ 1
46
私の言ったことやしたことでほかの人に謝ることが非常に多い。
⇒はい 1 いいえ 0
47
誰かのことで腹をたてているとき、それをその人にたやすく言うことができる。
⇒はい 0 いいえ 1
48
することは多いのに時間がない。ときどきすべてを放り出したくなる。
⇒はい 1 いいえ 0
49
これまでの人生においてやってきたことで、後悔することはほとんどない。
⇒はい 0 いいえ 1
50
私のことよりも、人のことを考えることが多い。
⇒はい 1 いいえ 0
51
私の人生は、まずまず自分の望んでいたようになってきた。
⇒はい 0 いいえ 1
52
人が私を困らせるようなことをしても、私が非常にものわ
かりがいいので、みんなは私のことを感心する。
⇒はい 1 いいえ 0
53
自分の性的魅力について悪い気はしない。
⇒はい 0 いいえ 1
54
ときどき私の親しい人のふるまいが、恥ずかしいときがある。
⇒はい 1 いいえ 0
55
私の人生にとって大切な人々は「本当の私」を知ってい
るし、そのことは平気である。
⇒はい 0 いいえ 1
56
私は自分のなすべき仕事はしているが、やりすぎることが多い。
⇒はい 1 いいえ 0
57
私の努力や注意が足りないために、何もかもダメになる
というようなことはないと思う。
⇒はい 0 いいえ 1
58
他人のためにやりすぎては、後でなぜそんなことをしたのかと思う。
⇒はい 1 いいえ 0
59
私の成長期の家族の問題の対処の仕方を思うと、幸せを感じる。
⇒はい 0 いいえ 1
60
いっしょにものごとをやってくれる人が、もっといればいいのに思う。
⇒はい 1 いいえ 0
集計について
奇数ナンバ-の質問に「いいえ」、偶数ナンバ-の質問に「はい」と答えると、それぞれ1点を与えます。
つまり最大得点は60点になります。
10~20点は軽い共依存でアダルトチルドレン気味。
21~30点はやや共依存的。
31~45点はかなりの共依存的。
45点以上は深刻な共依存状態となります。
強迫性障害とアダルトチルドレン
強迫性障害とは自分でもバカバカしいと思ってはいるけど、やめるにやめられない、思考と行動を繰り返して考える、または繰り返して行うことを指します。
強迫観念と強迫行動です。
例えば神社で不謹慎なことを考えると罰が当たると思っている強迫性障害の方がいます。
でも、人の思考はコントロ-ル出来るものではありません。
したがって場所を問わず不謹慎なことを考えてしまいます。神社であってもです。
強迫性障害の方は神社で不謹慎なことを考えてしまうと罰が当たると思っているので、その不謹慎に考えたことを取り消さなければならないという衝動にとらわれます。そうしないと、不謹慎なことを考えた自分には罰が当たるからです。
取り消しの方法は人様々です。思った不謹慎なことを頭の中が白く消えるまでイメ-ジしてみたり、一旦神社を出てまた神社に入って、今度は絶対不謹慎なことを考えず無事出ることを試みたり。
手段は違えど不謹慎なことを考えたという事実を打ち消そうとするのです。
しかし、打ち消そう、考えまいとすればするほど人間とは不思議なもので、かえって不謹慎なことを考えてしまうものなのです。
そして、またまた考えたことを打ち消そうと何度も何度も同じことをするのです。
この神社で不謹慎なことを考えたら、それを打ち消さなければならない、そうしないと罰が当たる。これが強迫観念です。そして、その強迫観念のもと打ち消す行動行為が、強迫行動なのです。
次の例です。家を出ようとします。ガスの元栓、電気消灯、鍵をかける。安全のために確認すべきことは多々あります。通常ですと、1回か2回確認をして人は外出します。
しかし、強迫性障害の場合は何回も確認をするのです。それは、本当に元栓が締まっているか、電気を消したか、鍵をかけたか不安なために。確認不安。
本当は元栓も締めたし、電気も消した、鍵をかけたにも関わらず、忘れたのではないかと強い不安に襲われる。これが強迫観念です。そして、その観念に基づき行動することが強迫行動です。
神社での不謹慎な思考、確認不安、共に本人はバカバカしいと内心は思っているのですが、不安には勝てないのです。
さて、強迫性障害の説明が長くなりました。
では、この症状とアダルトチルドレンの関係はどのようにあるのでしょうか。
強迫性障害の方の基本的性格特徴は繊細、言葉を変えると気にしすぎることと、不安感の強さがあげられます。
では、気にしすぎることと不安感の強さは、どのようにして強迫性障害を引き起こすのでしょうか。
まず、気にしすぎるということですが、気にしすぎるとは、何らかの対象に対して気持ち、注意が固着することを意味します。
すると、自分にとって嫌なこと、不安なことを感じると、そのことがいつまでも頭から離れず苦痛を体験します。
そして、不安感の強さからその嫌なこと、不安なことが現実になるのではとさらに苦痛を強化するのです。予期不安。
この頭から離れない苦痛が強迫観念。そして、苦痛を何とかしよう、取っ払おう、現実になるのを防ごうとする試みが強迫行動なのです。
強迫観念の場合何を気にしすぎるか、苦痛を感じるかは人様々です。
しかし、共通していることは自分にとって起こっては困る事態が起こるのではと、強い不安を感じるのです。
神社で不謹慎なことを考えると罰が当たる。罰の内容は人様々です。自分が会社を解雇される、恋人に捨てられる等、体験している本人がもっとも恐れていることが現実になることを防ぎたいのです。
家を出る際の確認不安。これも、外出中自分の責任による失火、盗人等を恐れて確認を何回もしてしまうのです。
さて、アダルトチルドレンですが。アダルトチルドレンも気にしすぎる性格、そして漠然とした不安感の強さを持っています。
そして、気にしすぎること、不安感の強さ共通の根源は自己信頼感の欠如、自己不信だと私は思います。
アダルトチルドレンは機能不全家族の影響により、親からあまり認められることがなく、自己受容出来ていないことがあります。これは自己不信を形成します。そして、自己存在の不確実性を感じます。これは何をやっても不完全感と不確実感に発展します。
また、アダルトチルドレンの親からの度重なる過干渉も問題です。何か行動をした後、そのことについて親から都度チェックが入り「出来てない」を連発されますと、自分はどれだけ完璧にやっても出来ていないのではと、不安に覆われてしまいます。したがって自分のしたことに対して「出来た」「OK」の自己感覚を持てないのです。これも自己不信です。
そのため何回も同じ行動を取って出来ているかどうか確認をしてしまうのです。
また、強迫性障害の方の思考特徴の1つに完璧思考があります。黒か白か、100か0か、中間の曖昧がありません。
これも、アダルトチルドレンの思考特徴の1つと重なっています。
強迫性障害の症状があるからと言っても、すべてをアダルトチルドレンと関連づけるつもりはありません。
しかし、機能不全家族のひとつの症状として強迫性障害の問題が起こったとしても不思議はないのです。
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