心の病

自伝記9

こここここけ~~ すきぢです。

 ((( *~∇~)爻(~∇~* ))) オヒサ な自伝9お楽しみください。

では。

1に関し理由が無い以上、こちらが被害者みたいなものである。奴の手紙の内容は公表を控えるが、私の方の意見を綴ったものはあるがままに紹介する事としよう。若干具合悪さや奴の一方的な回答etcに冷静さを欠いている面もあるがご了承頂きたい。リアルに伝えるべく、名前や口座番号など、書けない部分のみを省略し紹介させて頂きたい。まず私の意見はこうである。平成14年十二月八日の手紙・・・“「調停で今のマンションを全て受け取って売却しますという事でしたので、そう書かせてもらいましたが、もっと2人とも納得いく方法を取りたいと思います。下記に今までの話し合いの流れ、答え等を纏めました。離婚までにこれ以上あまり時間を掛けないように頑張りましょう。1.マンションの件。まず、貴方の意見としてマンションを売却して残りを半分ずつ負担する。僕の意見として、自分は住むところがないのでここにとどまりたい。これを組み合わせるとこうなると思います。A:現在の残りのローン-B:売却値段/2をそれぞれ負担。従って、例えばA:現在の残りのローンを2000万円と仮定。B:売却値段を1600万円と仮定。これを計算すると2000万円―1600万円/2=200万円。従い私の負担額  :1600万円+200万円=1800万円。貴方の負担額:200万円。となります。これで問題はないと思います。もちろん、連帯債務は外します。”被害者意見としてはかなり控えめなものであるが、やはり自分で住む以上は必要なものは払うべきと考えた方が奴も納得するのではないか、そう思ったのである。又、私たちの結婚を期に私の両親妹も別棟だが、このマンションに越してきたので、今更私たちの事情だけでそのような自体になるのは御免である。さらに続けます。“2.ローンの支払いの件。調停でいった通りローンの半分未払い分(上記の事でOKならば12月分までで良いと思います。)を入金下さい。特に婚費としては請求しません。5月~12月(8ヶ月)  50000/2x8ヶ月=200000円。ボーナス(2回)→ 135000/2x2回=135000円。合計  35000円。※ 但し、住宅ローン控除分は全て受け取って下さい。」これは決着がついていない間の家賃の請求である。離婚も成立していないのも然る事ながら、奴の荷物はマンションに置きっぱなしなのである。「3.貯金差額の件。これも、調停で話した通り離婚が解決したら払いますとのことですので○○○万円を入金下さい。4.預金通帳返却の件。2項、3項の件振り込み次第通帳返却下さい。又、携帯電話の契約も通帳が無い為、ずっとできずにいます。お早目にお願いします。1~4項終わり次第、離婚届を郵送します。証人を書いて提出下さい。(提出したら必ずその日に連絡下さい。)※この当時は携帯電話契約に通帳を出させられていた。

5、荷物の件。まだマンションに貴方の荷物がたくさんあります。取りにくる日を決めて連絡して下さい。(できれば日曜日、又は冬休み)いらないものばかりだとしても自分で処理して下さい。撤去後マンションの鍵を返して下さい。」以上である。これに対しての回答は翌年の4月末日くらいである。私が手紙を送って4ヶ月強は経過している。待ちにまった回答はまったく的外れな仕方ないものであった。平成15年5月14日の私からの手紙・・・「如何お過ごしでしょうか。

送付頂いた資料を銀行へ提出するには、当然の事ながら変更後の保証人を記入しなければならない為、友人をはじめ、心あたりの人達には相談してみましたが、高額保証となる為か、なかなか引き受けてくれる方もおりません。

銀行へ借り替えをして保証人をなくすという事もできますが、これは前回もお話した通り、現時点では告知書が通らず借り替えできません。

この件に関しては、まだまだ時間がかかりそうですが、このままではいつになっても解決する事はないと思います。

いままでは、あなたの言う通り、電話連絡はするな+会って話はしたくない+連絡は手紙のみ等と言うことを守って参りましたが、結婚した時も同じように1人の力やアイデアでは何もできません。つまり、お互い1人で考え孤軍奮闘したところで結論はでてこないと言う事です。もしこの事を理解できる人ならばあれからは1度も2人では話し合っていませんので、そろそろちゃんと話し合ってみませんか。

これは言わば、あなたと僕との2人だけの問題なのですから成功するときも失敗するときも、最後まできちんと遣り通す事が本筋だと考えます。もちろんお互い周りに迷惑をかけている事も事実です。失敗をする為に頑張る人は存在しません。

しかしピンチはチャンスの元。いつもでも感情で接するのではなくお互いに気持ちを尊重しつつ解決していきたいと思います。あなたが離婚の事由を明確にしない以上、私から合理的かつある程度ゆずっても構いはしないとおもっています。だってお互い人間には違いなにのですから。失敗をする為に頑張る人は存在しません。

結婚する時は成功する為に頑張りました。今は失敗を成功させるために頑張る時ではないでしょうか。そして良くなかった思い出はなるべく忘れて、それぞれ新しい人生をみつけていく事が大切な事だと思います。

それと貴方に対し不明な点その他ありますので連絡します。

1.荷物はかなりの量、置きっぱなしになっていますがどうするおつもりですか。(昨年末にも早く処分してもらうように連絡していました。)○これからもそうだが基本私の意見、質問はほとんどスルー状態である。

2.前に自分は住んでないから家賃は払わなくていいと言っておりましたが、こんなに荷物を置きっぱなしで、私は住んではいませんと言えますか。(こちらは生活空間に制限を受けていると思っています。気持ちも滅入ります。

貴方のやっている事は、他人の家に大量の荷物を置き、しかもお金は払わない、さらに撤去してくれと頼んでもなんのアクションも起こさないという事をしています。又、鍵まで持っています。)

3,家賃をまだ払わないなら年末調整(住宅ローン控除)分くらいは戻してくれてもいいとおもいますが…。

4,貯金の差額に関してはどのようにお考えでしょうか。(前に○○○万くらいといいましたが検討して早くもどして下さい。ある程度まかせます)

5,その他、インターネットは昨年12月に解約されたそうですが、これはそちらの通帳から引かれていたとは知らなかったので申し訳ありません。(これも合わせて精算しましょう)

又、生命保険料は僕が払っていて離婚届けを出してから変更するように(個人型へ)しています。変更すると生保未加入という事になりますので自分でいい保険をみつけて入って下さい。                                                                                                       (アメリカンファミリーがオススメです)

まだまだ細かい事はたくさんあると思いますが気になる事があったら連絡して下さい。

6,大きな問題は別として、上記に挙げた件に関しては、早期解決可能と考えます。

女性は離婚してから半年は結婚できないという事もあり、このまま籍を放って置く訳にも行きませんので、離婚届も同封しました。

但し、上記の15のすぐ解決できる事はある程度はクリアにしてから提出するようにして下さい。貴方より返事があり次第、確認しOKサインをだしますので至急返事を下さい。

回答例・・・

1,・今は忙しいので夏休みを利用して取りにきます。(日時は追って連絡します)

   そちらで処分して下さい。(処分費用は負担します) 

2,・住んでいるのと同様と納得しますので家賃72千円(B払い込み)の半分36千円X12ヶ月分払います。

○荷物だけなので4割の14400X12ヶ月分払います。

○荷物だけなので3割の10800X12ヶ月分払います。

○荷物だけなので払いません。等など

12ヶ月分と言うのは去年の5月から数えた分の意味

Bはボーナス

3,・家賃は半額払うので問題無です。

   ・家賃4割払うので控除金の6割を払います。

   ・家賃3割払うので控除金の7割を払います。

   ・全額戻します。などです。

4, 50万円くらいが妥当だと思います。

   40万円くらいが妥当だと思います。

   30万円くらいが妥当だと思います。等など

5,・インターネット料金5000/X6ヶ月分払って下さい。

   ・保険料金5000/X12ヶ月分払います。など

上記を合計すると○○○円になります。以上でよければ○月×日に(までに)振り込みます。

といった具合に明確にお知らせ下さい。こちらも判断に困りますので。

又、鍵と通帳は夏休みに持ってきます。(詳細日時は後日連絡)

2,の家賃とはローンのみの金額です。(家屋維持に伴なう管理費用、固定資産税、団体保険は含まれていません。考慮にいれておいて下さい。)

    参考…管理費12000/  固定資産税100000/  団体保険40000/

    その他思いあたる点があれば書いておいて下さい。」

と言った感じで、まずこちらの質問に対してのきちんとした回答がほしいのは当たり前です。検討のしようもありませんし、そもそも勝手な行動に対して、私の提案に対してほとんど無視とは一体どう言う感覚なのでしょう。しかしながら、とにかく相手側の身になって進めていくしか無いと考えました。細かな請求もして、せこい様に捕らえられる方もおられようが、理不尽さによる怒りと、実質家に帰ってこないだけで住んでいる同然なので、慰謝料と言うより、当たり前の請求である。しかしである。これからがまたなかなか手紙がこない。

                     see you next month すきぢ。

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自伝記8

((( *~∇~)爻(~∇~* ))) オヒサ な更新

では人の不幸をお楽しみあれ~(^◇^)/ぎゃはは

奴は敏腕弁護士を立て、私はわけも分からず一人で家庭裁判所へ乗り込んだ。そこは申立人控え室と相手側控え室に別れており、双方が顔を合わせる事は無いようにできている。もちろん調停の場には双方一緒に入って話し合う事もあるが、顔を見合わせたく無い場合は、申立人、相手側が交互に入室し調停員を通じて意見を交換する。今回私の場合は奴が選択したらしく後者で進行して行くこととなっていた。控え室で待機していると、「まず申立人よりお話を聞きその後お呼びしますのでお待ち下さい」との事。待つしかなかろう。二、三十分してからだろうか、ついに呼ばれた。少し緊張しつつも案内された調停室へ入った。そこには3名の調停員の方が並んで座っておられた。二人が女性で一人が男性だった。なんだか面接の感覚である。「そちらへおかけ下さい」との事だったので言われるがまま席につき、いよいよ調停の始まり始まりである。拍手パチパチパチ・・・。

まずは奴の意見が私に伝えられた。内容はこうだ。マンションを売却して残りを半分ずつ負担し別れてほしい。調停員はまず伝える事重視なのでこんな感じだ。私はすぐに「理由を聞いてほしい、それだけで納得できる訳がない」と答えた。心の中ではこの病気が恐らく原因で休職している私に愛想尽かしたのだろうと想像した。さらに「特にこちらに離婚しなければいけない理由が存在しないので、この場にいる自体不可解でしかたない」事を伝えた。退室し十分後程度、また入室した。私の質問への回答はこうである。「私の事も考え、理由は述べたくありませんが、とにかくその様にして別れてほしい」との事。まさに???である。私が一体何をしたのであろうか?。弁護士まで立て調停にて顔を合わせずして別れ話。よっぽど何か合ったと考えるのも普通だろうが、体調が体調である。「私の事を考えて理由を述べたくはないと言うのは、私が精神的病だからという事ではありませんか?」と尋ね返した。もうこうなったら何もかも裸にするしか無い。もしも病気が原因ならば結婚式の「楽しい時も病んだ時も共に手をとりあい・・・・・」みたいな誓いは何処へ、である。何か問題があれば、今この病すら治し、そしてまた普通の夫婦生活に戻りたいと言うのがその時点での私の心境である。もっと本音を言うと、そうしたいのは山々だが、そうできると言う自信も無い。もっともっと言うと、まず助けてくれーと言う気持ちである。助けてくれるどころか入院中にトドメの一撃である。回答は「病気が原因ではありません」との事。じゃぁなんなのでしょうか、一体?。 「嘘付くなよな」と言った気分であった。こうしていても仕方ないので、理由の無い離婚にマンションまで売却して残りの債務を半分ずつ負担と言うのはあまりにも虫のいい話なので一つの条件をこちらから提示した。「勝手に出て行くのだから半分払ってくれ」と言うものだ。これは本気で言った訳でもなかったが、奴の一方的な意見に対してのささやかな抵抗である。しかしながら合算で購入しているのだから、別れようが別れるまいが債務は負う義務はあるのである。それなのにマンション売却という事=お前も出て行けであるのだから全く訳がわからない。ここからどんどん泥沼化していくわけだが、調停は1回が最大2時間程度。これで決まらなければまた次回に持ち越しである。1度の申し立てで繰り返される調停は確か3回~4回程度で、それで決まらなければまた再度申し立てるか、今度は本気で民事裁判である。

初回の調停はまずそれぞれの意見に対し、次回までに検討し話を進める事となった。奴とのやりとりは手紙でとの要望だったので、奴の弁護士宛に手紙を送ることで承諾した。

心も体も、もぎとられんばかりの、この戦いは私自身人生で最も強烈な試練であった。

まず、今の状況を整理しよう。1.離婚事由が不明。1がクリアになったとして、2.住宅ローンの問題。3.貯金通帳の件。4.保険等の支払い放置の問題。5、私の家への荷物の置きっぱなしの問題。などなどである。3.は奴が全部持って逃げていたからである。まずは1を明確にしたく、手紙を書いた。返事が着くのも相当遅く、全くイライラの毎日である。1に関してのやり取りを幾度か繰り返したが、復縁の見込みもなく、私も諦める決断も必要となった。本音を言うとここまでやられると、冷めていた。

                   see you next sukidi

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自伝記7

こんばんわ~ すきぢです。

((( *~∇~)爻(~∇~* ))) オヒサ の自伝記7お楽しみ下さい。

ではでは。。。

そう家庭裁判所からの呼出状である。奴だ!。なんらかの連絡は家族の方からも行っているはずなのに、こんな時に鬼である。南の鬼より鬼である。内容は当然、夫婦関係調整の調停である。もし帰ってなく出頭しなかったら、10万円以下の過料,10万円以下の罰金くらいはあっただろう。但しこれは正当事由なく出頭しない場合なので診断書があれば多分大丈夫だったはずだ。もちろん罰則は民事と刑事などでも違うし、立場でも違うようだ。裁判っぽく思われる方もいると思うが、これは調停である。調停事件については,裁判官である家事審判官一人と民間の良識のある人から選ばれた調停委員二人以上で構成される調停委員会が,当事者双方に事情を尋ねたり,意見を聴いたりして,双方が納得の上で問題を解決できるように,助言やあっせんをします。
 調停では,当事者双方に合意ができると,原則として,合意事項を書面にして調停は終了します。
 なおです,特殊調停においては,当事者間に原因の有無について争いがない場合で,必要な事実を調査するなど一定の手続を経た上,家庭裁判所が正当と認めたときには,当事者で合意した内容について,調停の成立に代えて,その合意に相当する審判が行われます。簡単に言うと判決などは無くてあくまで裁判所を通した協議の場とでも言っておこう。この状態でまたも緊張やストレスを得なければならないのは大変な苦痛であった。病院での生活に戻るが、私は煙草を吸うため、大抵の時間がテレビがあって煙草を吸える、言えばリビングのところにいた。そのうち患者の方々と序所に話もするようになった。ほとんどがアルコール中毒患者で普通ではとても病気と思えない程に元気である。他には自律神経失調症やパニック障害、鬱病、フラッシュバックに悩む人達だった。中には借金に負われて逃げて来たような家族がいた。後者の方の症状がひどい人になると、ほぼしゃべることは無い。フラッシュバックの女の子は急に泣き出したりもする。彼らには悪いが自分より悪い人と接しているうちに徐々に回復に向かった。そう私なんか彼らに比べて悩むほどのものでもない、なんとか克服できる、そしていつかそんな人がいたら手を差し伸べてあげられる強い人間になりたい、と病みながらも思い初めたのである。恐らくここで「強い人間になりたい」と思ったのは、自分が「弱い人間だった」とようやく認めたのであろう。こうなったのは誰のせいでもなく、仕事のせいでもなく、ただただ自分に目をやったのである。「前の自分に戻りたい」などと思っているうちはこれらの病は消えることはないだろう。

ここでの治療と言うのは、基本「頑張らなくていい」という事である。言えば治療と言うより人生の勉強会、自分の扱い方を学ぶのである。「頑張らなくていい」と言うのは何も入院中に限らずの事だ。「頑張らない」なんて怠けていると思う人が日本人大半であろうが、これは明らかに間違った発想である。まず頑張っている人いない人の境界はどこにあるのだろうか?よく同僚や友達に悩みの相談の場で「おれも頑張っているのだからお前も頑張れ」とか「くよくよしていてもしょうがない」、しまいには「酒呑んで忘れろ」と言った事がよく聞かれる。これについて一つずつ反論を言わせてもらうと、「おれも頑張っているのだからお前も頑張れ」は怠けているわけではない。懸命に生きて悩んでいるのである。「くよくよしていてもしょうがない」は別にくよくよしていない、勝手に決めないでほしい。「酒呑んで忘れろ」は勝手に酒の肴にするな!と言いたい。結局は相談受ける側が自分中心なものの捕らえように思えはしないだろうか。このような事を上から目線で言っているのでは、その人のもった悩み本質に迫る事などできる訳もない。それで「相談にのってやった」みたいな顔してんじゃねぇーよって事である。最初から分からないなら分からないと言った方が随分とましである。逆に傷つけてしまっているからだ。頑張っている人いない人の境界など無いに等しい、またはそう捉えるべきだ。「頑張らなくていい」と言うのは自分を知り、自分のペースで自分の持ち味を存分に発揮し人々に貢献する事である。自分を知らず、自分の本意で無い事を苦しみながらやっていて「頑張っている」と思っているのは間違っていると言いたいのだ。後者はご苦労様と言ったところだ。一般に分かりやすく言うと、働いているのに「金が無い」と言うのに良く似ている。自分の状況、この場合は収入の把握、使い道を誤っているのである。これもひとつの病と言えよう。この「金が無い」と言う相談を受けたとして前の例に置き換えてみましょう。「おれも頑張っているのだからお前も頑張れ」→「おれも金が無いから節約している、お前も節約しろよ」。節約できる状態であれば相談に至らないはずである。「くよくよしていてもしょうがない」→「給料日までしのぐしかない」。そんな答えは不要である。「酒呑んで忘れろ」→ますます金使うだろーがよ! と言った具合で悩みの本質は一つも捉えられていない。まず相手の身になって何を求めているのかを理解し意見してみるのが良いだろう。だってそうでしょ?精神病であれ金銭問題であれ、よっぽどにならない限り人は易々と相談なんかしませんよ、ましては家族や親友に。そんなこんなで「嫁から訴えられたんだよ」とか何も隠す事などせず患者さん達と笑いながら話しているうちに、どんどん仲良くなり相手も一部始終を話してくれるようにもなった。溶け込みやすい性格である。一般社会にはびこる理不尽な人間より、かなり人間的心を持つ方々がここにはたくさんいるのだ。元々優しい人達なのだろうが、きっとみんな辛い思い、経験があるからこそ心が豊かなのであろう。自分を正当化する訳ではないが、極端に言えば、勝者が病に陥り、入院まできているのである。結局一般社会では筋がきちんと通った事を言うと、押さえつけられたり、嫌われたり、本意で無い事をやらされ自分を見失う傾向にあると言えよう。さて病院には毎日なんと言ったらいいのだろう?時間割、イベント、デイケアでしょうか。バレーボールやゲートボールといったソフトなスポーツから、カラオケや園芸など様々なものが行われています。もちろん参加は自由です。月に1回くらいは外でボーリング大会等も行われます。少しずつ元気を取り戻しつつあった私は、仲間に前々から誘われていたので、朝10時くらいからのバレーボールに参加してみる気持ちになった。

他にもカラオケや夜の集い、ゲートボールまで興味のあるものは積極的に参加できるようになり、やっとこの入院生活を全うできるようになった。当然だが調子の悪い時は参加しない。そうしながら自信を付け、言えばこの生活の自信をトラウマ化し、しっかりとした根を作る事ができたのではないかと思っている。さて調停の方だが入院中に1度目の日が訪れた。

                   とおびいこんてぬー すきぢ^;

病気は心のメッセージ

病気は心のメッセージ

著者:川嶋 朗

病気は心のメッセージ

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自伝記6

 こんばんわー 第6話 ↓↓ですがお楽しみ下さい。

      ある日部長に呼ばれ、自分の状態を事細かに説明した。すると初めからそのつもりで考えておられたのか長期で休暇を取ってみてはどうだろうかと言う話になった。とてもありがたい言葉で私としてもそれを一番望むところだった。ただ休暇中は当然収入がない為、それも不安だったが傷病手当というのがあるらしく最大一年半は基本給の6割の手当てがつくらしい。(6割といっても給料が給料だけに三歩歩けばなくなるくらいの金額。通常は五歩でなくなります。)ちなみに公務員は7割である。 奴も働いていてなんとかなりそうだったので約半年間休暇をとらせてもらう事にした。数日後、持っている仕事を引き継いで早速休暇に入ることになった。普通の状態の人(今の私)なら半年間も休めていいよなぁと思ってしまうが、その時の私には、「この半年間でもし治らなかったらどうしよう」という不安と「絶対に治さなければ」というプレッシャーがすごくありとても辛い日々の始まりでもあった。休暇中は病院へ通いながら、廻りの方々にアドバイスに基づいて散歩や日光浴などを毎日繰り返しながら過ごした。     

     が、やはりそれだけでは改善は見られなかった。家にずっとこもっているのでは生活リズムも狂う、かと言って積極的に外にでる勇気はない。

   その間も奴は一人で働いてくれた。そこには感謝している。

     しかしそれも私が休職して一ヶ月程度である。

     私は薬の副作用もあり男性が持つべき性的欲求という物も低下しておりノンセックスの日も続いていた。それが直接の原因かどうかは不明であるが休職してから一ヶ月半後、奴は仕事に行ったきり実家へ帰りそれ以降戻ってくることはなかった。その日の夜、奴の姉かあら電話があり「何か怯えているんだけど何かあったの」と聞かれた。無論特に心当たりはない。奴にとっては辛い事も当然あったのだろうがその後一切話しをさせてもらえない。奴の姉よりまずあなたの病気を治す事が先決だと告げられた。このような事になり私の心はさらに状態は悪化していった。姉の勧めで協会などを紹介してもらい数回いってみた。姉の主人はカトリックではまっていただけである。私は浄土真宗である。協会とは無縁といってよいだろう。その当時はなんとか奴を説得して帰ってきてもらいたかった為、すべていいなりに一生懸命だった。

     だが奴は戻るどころか話すらする機会を与えてはくれなかったのである。

   それから三ヶ月後、私は心療専門の病院へ入院した。その三ヶ月の間は調子が悪くほとんど家でコロコロ生活である。目が覚めてもなにもやる気もなく起きていれば具合が悪い。従いまぎらわそうと起きるなり酒に走ったのである。少し呑むと具合の悪さが緩和するのだ。しかしながらそんな事を続けていても回復につながるわけも無いのは、そこに陥ってしまっている人以外なら誰にでも分かることである。そして酒に走って2ヶ月、一日一升をあけるようになってしまった。こなってしまうと今度は自分の存在など考えむなしさばかりが襲ってくる。「私は人より弱い、一人じゃなにもできない、だれも救ってくれない、結局何も無い、辛い、苦しい」といった風である。4月某日このまま死んだほうが楽だと言う結論に達した。こんなところで一人で苦しみながら呑んでいるくらいならいっそおやじのところにいって楽しく呑んだほうがいい!そう思ったのである。うちは十数階のマンションで呑んだ勢いで飛び降りれば簡単である。その前に一度人生を振り返り、いろんな事を思い出し、今までに出た事のないような涙の量を流した。涙がかれるとはこのことであろう。酒のんでたからいっぱい出た訳では無い。さぁそして、いよいよである。しかし涙したせいか先ほどの感情よりは若干冷めている。でも決めた事。必ず死ぬ。いざバルコニーへレッツザゴーである。大きく深呼吸をし、晴れた青空を見、また涙が流れた。その瞬間脳裏をよぎったのは母の顔であった。そこは幼い頃、忙しい母とよく来た遊園地の青い空だったのである。死ねない。やっぱり死ねない。勇気がなかった訳じゃ無い。死ねない。また涙が溢れた。冷静に戻った私は泣きながら部屋へと戻った。だがこのままではどう生きて行ったら良いか分からない。今瞬間の出来事で病が治ったわけじゃない。このまま一人でいてはいけないと思った私は単純に誰かに頼るしかない!そう始めて思ったのである。とにかく入院施設のある精神科を扱っている病院を探し電話した。しかしながらそこでは「ここでは精神患者の入院は受け付けておりません」とその時の私にとっては死ねと言われんばかりの冷たい言葉であった。私は必死に「すいません、このままでは自ら死んでしまいそうなのです。なんとかなりませんか?」とくいついた。すると「病院を紹介しますからしばらくお待ちください」とこんな時にもマニュアル通りの応対で待たされた。そしてすぐさま紹介してもらった病院へと電話。

     病院「はい、○○病院です。どうされましたか?」、

       私「死にそうなんです。今すぐ入院させてもらえませんか!」

     病院「ケースワーカーの方と代わりますのでしばらくお待ちください」

     私「はい」

     病院「ケースワーカーの○○です。」

私「死にそうなんです。今すぐ入院させて下さい。」(何回も言わすな!!)

病院「ただ今満室で2、3日待って頂けませんか?」

私「もう限界だから電話したんです。助けて下さい。」

病院「しばらくお待ち下さい。」

私「・・・」

病院「今すぐいらしてください。場所は分かりますか?」

という訳でいざ入院する事に。あきらめずにしがみついてみるものである。まぁその時の私にはそれをやるしか方法は無かったのですが。もうその時の私は入院後の生活の事なんか考える余裕もなく、着替えもなにももたずタクシーすっとばして病院へ。さすがに靴は履いていきました。そこそこに冷静でしょ?。早速まず診察。どの程度待ったかは覚えていませんが呼ばれて診察室へ。ドアを開けるとそこにはお口の廻り全面白髭のいかにもあやしそうなドクターが・・・。うっ。こいつおれよりやべぇんじゃねぇのってくらいである。だが今はそんな事言っている場合でもなく、そのお口の廻り全面白髭(以下、

口全白

(

こうぜんぱく

)

)に託すしかなかった。今考えるととてもいい先生だったのだが。もうここまで来ると隠す事など何も無い。家族にも言えなかったすべてを口全白にぶちまけた。診察は1時間には達した程だったと思う。さてここでだが、何故家族にも話せなかったような事が、たとえ先生とは言え見ず知らずの人に話せたのだろうか?例えば家族や友達に話すにしても「途中で話をそらされてしまう、おれの気持ちなんか分からない、結局はおれも私もこうこうだからお前もがんばれ!」と言った具合で気持ちが伝わらない。と勝手に自分で分析してしまっているのである。何故に話を聞いてもらえなかったか?それはただ一つ。プライドと言うものが知らず知らずに自らの人生のチャンスを邪魔していたのである。「恥ずかしいからこれ以上言えない」とか、答えをもらっても「そんな事を分かっている」といった具合だ。これではまともに話を聞いてもらえる訳でもない。だがそんな冷静に話せる状態でもない。病んでいる人、普通と精神状態が違う人と、満足な状態の人とはなかなか話が成立するのは雲をつかむような話である。すごく怒っている人に「冷静になれ」といっても火に油を注ぐだけであるし、酔って絡みだした人を抑えようとしても無駄なのに似ている。私にとってこの時腹を斬るほどに味わった経験が、今では一味違う事を言ってくる人がいたら、「何を訴えたいのだろう」とまず相手の立場で考えられるようになった。これを「いい経験をした」とでも言うのだろうか。病み上がりと前では腹を立てる回数が激減したのである。私の自慢話はこれくらいとして、続きを書くこととしよう。診察の最後に「入院室ですが、一般病棟と隔離病棟がありますがどうしますか?」と尋ねられた。診察も終わり冷静さを若干取り戻していた私は「その2つの病棟の違いは何ですか?」と聞いた。簡単に言うと隔離病棟は症状がひどく暴れたり自殺の可能性が高い人、アルコール中毒などの患者で一般病棟を頻繁に抜け出し、そこらで呑むなど一般病棟の人達と共存するのが難しい、または自殺などの危険性が多いなどと医師が判断された場合入れられるらしい。私は「自殺するかも」と言って来たものでそこを尋ねられたのだろう。冷静さを取り戻していた私はちょっと怖かったので一般病棟で様子をみて頂く事にした。しかも人前で食事をとる事が出来なかった為、値は張るが個室とした。真面目に話している最中にも「お前、今日の着替えのパンツどうすんだよ」と言うのが気になっている読者も多いかと思うので言っておくが、その後病院より家族に連絡が入り母親に持ってきてもらった。結局いつも迷惑をかけてしまうのは親である。病棟へ案内されるとそこは想像とはまるで違う綺麗で落ち着いたとてもいい空間だった。看護師さんに病室へ連れていってもらい冷静になったとは言え、心はガタガタ、体はクタクタで部屋に入るなり布団にくるまった。この時の心境はこうである。ここでいくらか生活しても“退院してから自分一人で食生活をして行く、嘔吐が怖いのに飯を作る“そんな事を必死に考えるとパニックになって病室中を這いずりまわった。そんなこんなで病院生活を過ごしているうちに症状が良くなったのかどうかは分からないが外泊許可がでた。一月にあまり多く外泊を取ると傷病や保険に影響が出るため、だいたい月に4日、5日程度が限界である。私はまず廻りにも友達もできていた為、みんなが外泊でいなく少ない土曜日に帰って日曜日に病院に戻る事とした。ひさしぶりの帰宅だったのでまず自宅のポストが満タン状態であった。ポストの中のものを全てもって家に上がり中身を調べていると、そこには目を疑うような書類が送られてきていた。

                       中瓶コンティニュー すきぢ。

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自伝記5

おまっちぃ~ 第5話 お楽しみ下さい。 では

現在、環境汚染や地球温暖化の対策がなされているが、この原因を人は、工場廃水、排気ガス、フロンのスプレーなどと言う。これも原因としては間違っていないが、そもそも人間の便利になりたい、楽に生きたい、楽しみたいといった欲求や欲望が、元祖原因といえよう。人間が便利になりたいと思った瞬間から環境汚染や地球温暖化は始まっていたのである。

それから私は、その心療内科に数十回通い続けた。始めのうちは、通院する事によって気分が落ち着き、具合もよかったのだが、このような環境に体が慣れてくると、甘えのせいか不安の募りかわからないが、また体調を崩し始める。今度は病院にも通っていて、薬も服用しているにも関わらず、具合が悪くなった訳なので、もう逃げ場がないと感じてしまうのである。そこで医者は安定剤の強いものを与え落ち着かせるが、その代わり副作用もきつくなってくる。こうなると、会社へ一週間出勤し続けるのは、とても無理な状態である。始めに服用していたのはソラナックス(精神安定剤)半錠、そして一錠、二錠と増えて行き、ドグマチールという強い薬にも変えられた。これは言わば鬱状態を緩和する薬である。これらの薬は、精神不安定者にとっては、持って置くだけでも安心できる言わば麻薬みたいなものである。このように言うと私が麻薬をやった事があるみたいだが、それはない。副作用としては、眠気、だるさ、吐き気、イライラなど様々でとても辛い。私の場合、症状に吐き気があった為、吐き気の副作用のある薬は処方されなかったが、その他の副作用はもろに来た。眠気と言っても、寝不足や小春日和に襲われる通常のものとは角が違う。どんな状況でも寝てしまうのである。だるさも並みじゃない。全く力が入らず、ジュースを飲んでいて缶を落としてしまうくらいである。作用の強弱は人それぞれであるのですべての人がこうなる訳ではない。副作用で、会社で寝てしまった事もある。当然おこられたり文句を言われたりもしたが、普通の目線から捕らえると良くはない事、しかし別の世界から大きく捕らえると全く仕方ない事である。なった事のない人には分からない。走った事の無い人は、マラソンの気持ちよさランナーズハイは分からない。「あんな苦しい事してなにが楽しいのだ」と思うくらいであろう。走りきった後の達成感や爽快感を感じた事がないからである。つまり人生で経験の多い人は、それなりに人間が大きく、何事においても、物事を大きな目で捕らえる事ができる。私もこの病気との闘いで、前よりも少しは、人間的に大きくなったようなそんな気がする。昔なら腹をたてていた事、はぶてていた事と思える事が、今では、「そんな小さな事で怒ってどうするんだ」とうような気持ちになって、何事もなかったかのように流せるようになった。病気で悩んでいる方、お金で悩んでいる方、その他自殺したいくらい悩んでいる方、又、死のうと思っている方、まだ諦めないでもらいたい。苦しみの人生の後には、楽しいとても素敵な人生が待っているはずである。偉そうに言っていると思われるかもしれないが、私もまだまだ苦しみ、辛さは山積みである。しかし私はあきらめない。楽しいのか苦しいのか分からないような人生を過ごすより、楽しい人生を目的に今の苦しい人生を、前向きに生きている自分が好きだからだ。

意外とナルシスト的な部分もある。

人は誰でも何か問題をかかえている。仕事もかかえている。これらの問題を如何に早く解決できるか、それがこれからの各人の未来を大きく左右させると思われる。

素早く問題を解決させるには、ただ我武者羅に取り組んでも成果は上がらない。そこで私が今一番注目しているのが「アルゴリズム」である。「アルゴリズム」とは、「手順」という意味である。

あらかじめ記述された順序に従って実行されるものであること、有限時間で結果を出力するものであること等が特徴です。指定された条件を満たす図形を定規とコンパスを用いて描く幾何学の「作図」も広義のアルゴリズムと言えるでしょう。

 今まで解けなかった問題を解くには、新しいアルゴリズムが必要です。今までより速く問題を解くには、新しい高速アルゴリズムが必要です。アルゴリズムをプログラム化したり人に伝えたりするには、アルゴリズムを平易に記述する言語や図式が必要である。何か難しい事を書いているようだが、簡単にとてもくだらなく日常生活での例えを上げてみよう。例えば、あなたがエレベーターに乗ったとしよう。普通は行き先ボタンを押して、その後、「閉」のボタンを押す。せっかちな人は「閉」を何度も連射したりもする。私が思うにそんな事をしなくても「閉」を先に押してから行き先ボタンを押せばいいのである。つまり、ドアが閉まっている無駄な時間を行き先を押す行為に当てようと言うのだ。これによりわずかではあるが、目的地に早く着く事ができる。他にも節約家なら、家から帰ってテレビをつけてから着替えるのと着替えてからテレビをつけるのでは、電気代に差が出る。朝起きて、トイレに行くついでに部屋の電気をつけて行くよりトイレの帰りに電気をつけたほうがより経済的である。例えで挙げたのはとても小さな事であるがこのような事を馬鹿らしいと思ってはいけない。将棋の世界では、手順前後で大きく局面が変わると言われている。何を先にやるかで、勝ち負けが決まると言っても過言ではない。みなさんは興味を示して頂けただろうか。手順は人間がいつも当たり前のように判断し行動しているが、まだまだ嘘の手順はたくさんあるだろう。みなさんも発見してみては如何だろうか。きっと時間に余裕ができ楽しい人生を過ごす事ができるだろう。

話がよくそれるが、これからもこの調子で進めて行きたいと思う。

会社へ行くのがとても辛くなった私は、勇気を出して上司へ相談してみる事にした。「辞めろ」と言われても仕方が無い。今の自分にはそれだけ会社に貢献できる元気も自信もない。覚悟を決め、部長と話す時間をとってもらった。

                        see you next week bye bye sukidi

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自伝記4

こんばんわ!すきぢです。華の金曜日。。。だけど風邪がまだ治らなく家で

おとなしくしております。

自伝記4 お楽しみ下さい^^

初めての方は自伝記1から読んでね(o^ ^o) / では。

---------

これは何かおかしいと思い近くの病院へ検査を受けに行ったが結果は問題なし。

問題なしと言われても、かなり具合が悪い。なんなんだ一体!!かなり悩んだ。

結構悩むタイプでもある。吐き気がするのに内臓も異常なし。熱があるのに風邪でもなく、息が苦しいのに呼吸器もバッチリOKだった。

ある日の夜、突然具合が悪くなり、喉がつまったような感覚に襲われ、呼吸もかなり苦しかった為、夜間受付のある病院へ直行した。その日は帰るのもなんだか恐かったので病院で寝て帰る事にした。翌朝、担当医の方がきたので、いままでにあった症状等を事細かく説明した。

すると、しばらく検査入院しませんかと言われたので、そうすることに決めた。

その辺りに優柔不断さはまるでない。

内視鏡や心電図、レントゲンなどの検査をし、約2週間入院した。しかしここでも結果は異常なしと言う事だった。「他に考えられる原因はありませんか」と医者に尋ねると、困ったような顔をして「歯が悪いとか、そういう事はありませんか」と尋ねられた。

歯は極めて丈夫である。

先生によると、歯や歯茎が悪いと、吐き気がしたり、具合が悪くなる事もあるらしい。残念ながらこれには、私はあてはまらなかった。

異常がないのに具合が悪いというのも結構気持ちが悪いものである。その後もいろんな医療機関を転々としたが、これと言って体に異常は見られなかった。納得いかなかった私は、電話帳やインターネットで別の視野より探し始めた。まず、最初に目にとまったのが“前世療法”である。

前世療法とは、現在と未来をより充実させ、より良い人生を送れるよう、目の前に立ちはだかる大きな問題や悩み、繰り返されるネガティヴなパターンを理解し、解決していくための療法とでも言っておきましょう。

「歴史は繰り返す」 と言うように、人の魂もそうだとこの世界では解釈されています。前世療法とは、つまり、自分の過去(言わば前世)を思い出し、再体験することによって、過去の出来事が今の人生に持ち越されていることを発見し、問題が解決できる、というものです。

次に目にとまったのが“催眠療法”でした。催眠療法とは催眠をかける事により精神的ストレスや緊張をとくというものです。

これらをやった直後は非常に気持ちが楽になり、具合の悪さも大分良くなって、少し続けてみようかとも思ったが、これらは保険が利かず、かなり高額の料金を取られる。さらに私の住いは都会とはかけ離れた所にあり、このような所で有名な場所もない。東京のテレビや雑誌で紹介されているような所へ行ってみようとも思ったが、その時の私には行く気力、体力さらに費用もない。

しかしながら、このようなものを、インターネットや雑誌で調べているうちに、よく“精神的悩み”、“精神的ストレス”と言う言葉を目にするようになっていました。

精神的と言う事は、“精神病院”と考えましたが、なんとなく精神病院と聞くと気の狂った人達が行くような場所という感じがして、全く気が進みませんでした。そうこう悩んでいるうちに、症状はだんだん悪くなっていき、会社へ1週間出勤するのも出来ない状態にまでなっていました。そこで、この調子が悪い事を徐々に、会社の上司に話して行こうと思いました。そしてこの事を、まず、直属の上司である課長に相談しました。しかしこのような病を人に理解してもらえる様に伝えるのは、とても難しく、なかなか理解してもらえませんでした。それもそのはず、私自身も五体不満足でもなく、癌や心臓病にもなった事はないので完全に理解はできません。何度訴えても返ってくる言葉は、気のせいだとか、気合が入ってない、さらに責任感がないんじゃないかというような、冷たいものでした。“いざという時、会社はなにもしてくれない”と言う言葉を、子供のころ耳にした事がありましたが、正にそれだと確信しました。

ある日、会社のシャトルカーで部長を仕事場まで送る事になった。車中でいろいろと会話をしているうちに、ついポロリと「最近、体の調子が悪いんですよ。でも病院へ行ってもなんともないって言われるし」と言ってしまった。あれ程、課長には言いにくかった事が、部長と自然に会話していると、簡単に話していた。すると部長が、知っている心療内科があるので、そこへ行ってみないかと言った。“心療内科”など聞いた事もありませんでした。詳しく聞いてみると、実際は精神科なのだが、精神科と聞くとやはり普通は近寄りがたい。そこで心療内科という風に名前を変えて、抵抗が少ないようにしているそうだ。これは医学以前の問題でやはり患者の立場になって考え、一歩踏み出す勇気を引き出させているのであろう。部長が、今僕もそこへ通っていて、精神安定剤を服用しているとその薬を私に見せた。保険も利くらしい。このような病気の話で、話はかなり盛り上がった。大分話をしているうちに、行ってみようと思うようになっていた。そしてその日の昼過ぎに部長から、「今度の土曜日に予約しておいたから行ってみなさい」と電話があった。かなり積極的である。自分の病気の心配をした方がいいのではないかとも少し思った。しかしながら、これはもしかすると神の手かとも思った。

そして土曜日、少し緊張しながらも、その心療内科のドアを叩いた。そこは、京間八畳分程度の小さな待ち合い所と、受け付けのある、とても落ち着いた綺麗な所だった。

すぐに受け付けへ行き、部長より紹介された者ですと告げると、「しばらくお待ち下さい」と待ち合い所で待つよう指示された。廻りを見渡すと、雑誌やマンガ等も置いてあったが、壁にいろんな心の病についてのポスターが貼られてあったので、そちらの方に興味があり眺めた。不眠症、過呼吸症候群、鬱病、アルコール中毒、広場恐怖、パニック障害など、様々な情報がそこで読み取れた。

私なりの自己分析では、この中でも、“パニック障害”(パニックディスオーダー)に近い症状が頻繁に起きている為、これに近いものだろうと考えていた。“パニック障害”とは、人込みや束縛された環境に立たされると、人により症状は違うが、息苦しくなったり、吐き気がしたりめまいがしたりするのである。発病の原因には大きく分けて、2つの事が考えられます。1つ目は、「もしも私がなったら恐い」と思う事から始まるもの。そして2つ目は、「またあんな事があったら嫌だ」と言う、実体験に基づくものが考えられます。例えば1つ目だと、家族や友達が心臓発作を起こし亡くなり、その一部始終を見てしまったとしたら、障害にならない人なら、その事実を受け止め、受け流してしまうのですが、障害になりやすい人は、「自分も心臓発作を起こしてしまうのではないか?、起こしてしまったらどうしよう」など考え、心臓発作に対して執着してしまい、それがひどくなるとトラウマになり、結果的にパニック障害へと陥ってしまうのです。2つ目は、普通の日常生活の中で、たまたま道を歩いていると具合が悪くなり、吐いてしまったとしましょう。ほとんどの人が「風邪かな」だとか「食べ過ぎたかな」など軽く受け流すのですが、一部の人がその発作の苦しみ(この場合吐いた事)に対し執着してしまい、「あんな発作を起こすのはもう絶対に嫌だ」と極端に拒否します。その極端に拒否する考えが執着心を生み出して、発作の再発を生み出します。何故このように捕らえるのかは「死にたくない」と言う誰もが思う事を極端に考えてしまう悪い癖でもある。あって七癖である。

このような障害(パニック障害や神経症)に一度陥ると、治すのにはかなりの時間を要します。また、一生治らないのではないかと言う神経症の方独特のマイナス思考も邪魔をして、完治するのはとても難しいのです。実際に私も、この病と付合って十年が経ちますが、まだ完全に治ったと言う訳ではありません。

一時間は待たされたでしょうか。やっと、受付の人から「どうぞ」と声がかかり、いざ診察室へ。緊張しながらも扉を開けると、そこにはやさしそうな先生が一人座っていた。診察室に椅子に座ると先生が「すいませんね、待たせてしまって」とおっしゃった。続けて「ここは、心の病気の患者さんが多いから、話をゆっくり、ちゃんと聞くようにやっていますから、待ち時間が長くなってしまう事はたまにあります。ですからあなたも遠慮しないで、なんでも話して下さい。」と言われた。「今から幾つか質問しますので答えられたら答えて下さい。」と早速診察が始まりました。質問の内容は様々で、「このようになった原因に心当たりはありますか。」とか人間関係、家族構成等について聞かれた。なんだかこの先生にだったらなんでも話せるような気がして、具体的に会社での人間関係やプライベートな事まで伝えた。それから症状等を聞かれ、結局、不安神経症と診断された。「ちゃんと治りますから心配しないで大丈夫ですよ。」と言われ、薬の説明と次回の診察日を予約して退室した。正味一時間くらいだっただろうか。私の体調について真剣に話しをしてくれたのは、ここの先生が初めてで、なんだかすっとした気持ちになってその時はとても気分がよかった。

      相当この病気で悩んでいたのであろう。次回の診察が楽しみにも思えていた。

      このような病気になる原因として現在の私はこう考えている。

      なんでもないことに知らず知らずのうちにストレスを感じていたとしよう。

      例えば、テレビをみていたり、彼女とデートをしていたとすると、自分では楽しんでいる

     つもりでも、そこにストレスの原因となる事が多々ある。

     スポーツ番組を見ていて、自分の応援しているチームが負けたらそれは立派なストレス

     である。彼女とデートをしていて、彼女を喜ばせようと、必死に努力する、これも立派な

     ストレスである。このような自分では気づかないストレスにより、徐々に体調を壊し、発

    熱や下痢、嘔吐、だるさなどの症状をみられる事がある。そして仕事を休む事が多くなっ

    たり、友達との約束を守れなくなって自己嫌悪に陥ってしまうのである。これは本人には

   とても分かりやすく、「会社を休んで、上司や後輩に迷惑を掛けていないか。

   休んでしまって申し訳ない。」など考え、これが大きなストレスとなっていくのである。

   言わばこれは、ほんの小さなストレスが生み出した二次的ストレスと言えよう。この状態が

   長く続くと、だんだんと病気の原因が会社の人間関係や友達関係だと勘違いして考えてし

   まう事が多い。実際はテレビの見過ぎ、彼女への気の使い、読書での目の疲れ等のストレ

   スから発病しているのであるが、これに気づく人は、まずいない。

  原因というのは何事においても小さな物である。

  火事の原因を例に挙げると分かりやすいであろう。

 火事の原因の代表にタバコの火の不始末というのがあるが、正にこのタバコの火という小さな

 火種が原因で取り返しのつかない大きな火災を引き起こすのである。そもそも原因というもの

 は、追求すればする程に奥深く、終わり無き戦いである。

                               つづくぅ すきぢ。

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自伝記3

こんばん~~ さぁて だんだん暗くなる第3弾!!

テンション↓↓でご覧下さい。

さらに彼は「現在は、とても住宅金融公庫の金利が下がっていて月の払いも大分安くで払えます。」といい、新聞の切抜き等の資料を見せてくれた。通常、金融公庫が赤字にならない最低金利と言うのは5~6%らしい。だがその時の金利は3%に下がったばかりであった。そこで彼が、通常の金利5.5%で借り入れた場合の支払額と今の3%での支払額の例材を持ってきた。金利5.5%だと、二千万円で月に十万円以上の支払となるのに対し、金利3%だと月に五万円程度である。ボーナス払いはあるものの、これだとその辺の賃貸マンションを借りるより遥かに安く、もしかすると買う事もできるのではないかと思った。

その日はそれで失礼する事にし、後日連絡をとって、何回か通った。他に必要なお金や支払はないか、それを知りたっかったのだ。その他必要なものとして、固定資産税と頭金、それから手数料、印紙代等である。公庫がその当時8割までしか融資してくれなかった為、残りの1割を民間の銀行から、あとの残りは、頭金として自己負担となっていた。手数料と印紙代も、買い物の金額が大きい為、馬鹿にならない。合わせて百万程度だった。一応私と奴は、婚約していた為、結婚の費用として、お金は貯めてあった。ちょうどマンションが完成するのがその時から数えて、1年半後だった為、貯金を頭金に使っても、1年半また貯金すれば結婚式も挙げられるとそう考えた。ある程度計画が立ったので、後は奴がなんと言うかだけだった。早速私は、奴を連れて、モデルルームへ行った。担当者に会わせて、簡単に説明をしてもらった。「と言う事だけど、どうしますか」と私が奴に尋ねると、「どうする?」とうれしそうな顔をして問い返してきた。どうするって言われても、私は買ってもいいから連れて来たのである。「じゃあ、買おうか」と言い、契約する事にした。お互い、仕事はしていたが、私1人の年収では、借入れが難しい為、奴と合算で契約した。公庫の審査を待つ間、私たちは必要な書類を集めることにした。まだ正式に結婚していなっかった為、結婚証明書(お互いの両親のサインがあれば良い)や住民票、実印の印鑑証明等をとった。しばらくして、売り手の担当者から電話があり、「おめでとうございます。公庫から融資できる事が決まりました。」と連絡が入り、マンションの購入が事実上決定した。まさか、これがとんでもない事態になろうとは、その時、思ってもいなかった。契約から1年半後、あらためて貯金をやり続けて、予定通り結婚式を挙げる事となった。(この1年半の間の事は、結婚前の二人によくある光景ばかりで、読者にとって、全くおもしろくなさそうなので省くとする。)

                    -つぅびーこんてぃ乳-

結婚式を終え、新婚旅行から帰るとすぐ、私は仕事の為、中国上海へいく事になった。

新婚生活を始めようというその時にいきなりの出張依頼で少し戸惑った。予定期間は1ヶ月という事だったので、奴をなんとか説得し行くことになった。仕事なので奴がなんと言おうと行かなければならないのは事実である。4月に新婚旅行から帰りその月の末から中国へ出掛けて行った。

新婚生活約3週間である。

中国へ着くとすぐに奴へ連絡をいれ、連絡先等を伝えた。するとその晩、早速奴から電話があった。「どうしたの?」と聞くと「寂しいから電話した。」と言われた。このあたりは新婚夫婦として極めて普通である。その後もいろいろと三十分は話続けた。私の宿泊しているホテルは一泊2万5千円くらいの超一流ホテルだったため、こちらから電話を掛けるとチャージが大きく、とんでもない金額になる為、国際電話サービスに入り、奴の方から電話をするようにも伝えた。

ちなみにそのホテルでコピーを一枚とると日本円で三百円も取られる。

自分で書き写した方がましである。現地での仕事も忙しく予定の1ヶ月を遥かに超え、2ヶ月間の滞在となった。ようやく日本に帰ってきたが新婚生活を始めようという空気はまるでない。これは一体どういう事なのか。私はそんなに悪い事をしたのか。

結構自分を責めるタイプである。中国滞在中は奴も呼んで観光にも連れっていったのに・・・

それから、国際電話の多額な通話料の請求書が送られてきた。二ヶ月で三十万だったが新婚なので仕方ないかと諦めた。

それから約1年が過ぎ、私は体調を崩しはじめた。吐き気がひどくて食事もまともにできず、微熱も延々と続いた。さらには、時々死にそうなくらい息苦しくなったり、粗鉄も無いだるさに襲われる日々が続いた。

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自伝記2

第2話っす!よろしく読んじゃって下さい。

ある日、会社のソフトボール大会の帰りに、後輩連中を家まで送っていく事となった。送り先の関係で、自分の家へ帰るルートとは別のルートをとる事にした。そちらのほうが、信号も無く時間的に早いからだ。すると、後部座席に座っていた後輩が私に、案内用の紙の立看板を指差し、「ここに凄いマンションができるそうですよ」と言った。凄いマンションなんて俺に住める訳ないよなぁと思いながら運転していた。

しばらくすると、その凄いマンションの建設予定地前を通過しようとしていた。その時、また後輩が「ここです!ここです!あっモデルルームやっていますよ。行ってみましょうよ。」と言い出した。私は、お前馬鹿じゃないのかと言わんばかりに鼻で笑った。新築の売りマンションなんて高くて買える訳もないし、買えないのに見ても空しくなるばかりそう思ったからだ。しかも、ソフトボール大会の帰りとあって、全員ダサイジャージ姿である。かなり泥だらけで汚く、とてもそこへ入っていけるスタイルではない。そう思い、モデルルームを50メートルくらい過ぎたところだっただろうか、何故か私はブレーキを踏み、後輩に、「行ってみるか」と言った。今でもこの行動は理解不明である。ジャージ姿の汚い格好で、後輩2人と共に3人で恐る恐るモデルルームへ入っていった。「いらっしゃいませ」と綺麗な受付のお姉さんが話し掛けてきた。「モデルルームをご見学ですか」と聞かれ、そりゃそうだろうといった感じで3人同時にうなずいた。早速中へ入れてもらい、部屋を案内してもらった。

そこには、3LDKと4LDKの代表的なタイプがモデルとして造られていた。リビングは広くダイニングキッチンもゴージャスである。バルコニー沿いの窓も広く、とても明るくいい部屋だと思った。こんな所、どこのお金持ちが住むのかと、廻りの客層がとてもきになる。あたりを見渡すと、少しおとなしめの素敵な衣装に身を纏った奥様とその旦那さんと子供や、もう定年を迎え老後はこのマンションでといった感じの老夫婦が目立つ。しかし私たち、ジャージ3人衆はもっと目立つ。一通り見終わると、販売係らしき男性に声を掛けられた。私はその当時25歳だったが、その男は、私より、大分、若く見えた。「どうでしたか」と尋ねられ、「いい感じの凄い部屋ですね」と答えると、話だけでもさせてもらえませんかと言うので、一同、いわれるがまま外のテーブルの方へ連れて行かれた。一つの、営業テクニックである。3人ともおもしろ半分ではあったが、お茶もでてきた事だし、話を聞いて帰る事にした。泥のジャージにお茶まで出すなんてなんて親切なのだろうとそう感じた。販売員の若い男が資料を抱えて、テーブルに戻ってきた。まず始めに、私は販売員に「歳いくつ?」となれなれしく尋ねた。すると「僕は22歳でまだ入社1年目なんですよ。よろしくお願いします。」と答えた。隣に座っている1番ダサイジャージの後輩と同じくらいである。なんだか頼りないなぁとも思いつつ、別にこいつからこのマンションを買う訳でもないしいいかとおもい、「今見せてもらった感じの所でいくらなの」と尋ねた。「今のタイプですと、階数や日当りによって多少違いますが、二千万から二千二百万です。」と答えた。

                         つづく。

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自伝記

30歳ころに書いた自伝記を少しずつみなさんに紹介することとしよう。

長いので何回かにわけてちょいちょい更新して参ります。

人生いい事もあれば悪いこともある。

それを乗り越えてすこしでも成長できている実感も近頃ある訳で

いまではいい経験という事でとっても役にたっているので^^

中には暗い話もでてきますが是非読んで下さいね!!

ちょっと若い時に書いたもんで文章ど下手だけどそこんとこは多めにお願い致しますわ。

それでは。

私は2003年6月3日に離婚した。妻が家を出ていってから、離婚成立までのさまざまな風景をノンフィクションで綴ったものである。それでは、まず、初めに主な登場人物を紹介しよう。

私(作者 30歳 ) 

奴(妻 32歳) 

奴等(妻の家族  代表38歳)

母(作者の母 65歳)

父(作者の父 他界)

妹(作者の妹 28歳)

年齢は2002年1月現在の年齢である。

奴と結婚したのは1999年の3月の事である。7年間の付き合いを経て結婚となったので、間違いなくうまく行くと思っていた。誰もうまく行かない結婚なんてする訳がないが、話を聞くと無理矢理、親達に結婚させられたという人もいるらしい。それはかなり可哀相にも思えるが、逆にその方がうまくいくと言う人も少なくはない。このような事は千差万別であると言えよう。要は関係ないのだ。ところで、読者の皆様は結婚されているのだろうか。もしも貴方が今、既婚者ならば、この本を読み終わったら妻を抱きしめに走る事だろう。女性ならば夫に「ビール如何?」等普段では考えられない行動をとるかもしれない。もしも独身ならば、この続きを読む前に一つ約束をしてもらいたい。絶対に結婚に対して臆病にならないでもらいたい。結婚はそんなに悪いものではないはずだ。結婚するにあたり、私は住む場所を考えていた。あちらこちらと賃貸のアパートやマンションを探した。その頃の気持ちは、男といえども新婚生活に強い憧れを抱いていた。実家が築70年のとても古い家だったせいか、できれば、畳張りの小さなアパートに住むよりは、床張りの綺麗なマンションに住みたかった。不動産屋には予算などは言わずいろいろと紹介してもらい、見て廻る事にした。それは、予算を先に伝えるとそれなりの物件までしか見せないからだ。ちょっといい物件もみせてもらい、気に入ったらそこで敷金、礼金などの値下げを狙おうという計算だ。しかし、ちょっといいなと思うマンションは、家賃が10万を超えるところが多く、とても私の給料では、払って行けない。何せ私の会社の給料は世界一安い破格の値である。

                           tobe continue

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ACについて2

[アダルトチルドレンという言葉の由来、AC、ACOA]
 アルコール依存症患者の子供として育ち、現在は成人に達した人々のことを英語で Adult Children of Alcoholics と言います。頭文字を取って、ACOAとかACとも書きますが、適当な日本語訳がなく、日本でもこれらの略語で呼んだり、またはそのまま英語読みで、アダルトチルドレン(1人ならアダルトチャイルド)と言ったりします。この用語(アダルトチルドレン、以下AC)は、1977年頃から米国のアルコール臨床にたずさわる心理療法家やソーシャル・ワーカーたちの間で使われはじめました。

[クラウディア・ブラックの登場]
 クラウディア・ブラック(Claudia Black)は、多くのACの少年期を調査して、それまでの一般常識であった、酒害家庭の子供たちは逸脱的な反社会的行動を起こしやすいという説を訂正して、著書 "It will never happen to me"(1981)(邦訳、「私は親のようにならない」、1989)で、これらの子供たちは目立つけれども、むしろ少数派であると指摘しました。そして、目立たない大多数の子供たちに対してもケアが必要であると注意を喚起しました。というのは、これらの子供たちは、混乱した家族システムに適応して少年時代を生きのびますが、思春期以後に、特徴的な感情と行動の障害を起こしやすいからです。

[4つの役割]
 ブラックは、ACの挫折や障害の起源を子供時代の機能不全家庭への適応様式にさかのぼって考察し、酒害家庭の子供たちは、暗黙のルールとして、「しゃべるな。信じるな。感じるな」という信念を持っていることが多いと述べています。また彼女は、子供たちの家庭での役割を「責任を背負いこむ者」、「順応者」、「なだめ役」、「行動化する子供」の4タイプに分けて分析しました。

[アメリカの場合]
 ブラックが指摘し解説したAC問題は、精神医学の研究者や専門家よりも直接臨床にたずさわるソーシャル・ワーカーに受け入れられ、さらに臨床の場を離れて、マスコミでとりあげられました。1980年代前半には、AC関連の書籍がベストセラーになるなど、いわば「AC運動」が米国一般市民の中に浸透し、全米各地に多数のACの自助グループが生まれました。 [TOPへ]

[ACOD]
 そういうわけでACは、診断名ではありません。むしろ「自分の生きにくさの由来を理解し、成長の出発点とするための自己認識、自覚」と言ってよいでしょう。「AC症候群」という用語も使われてはいますが、その概念すら定着しているとは言えません。たとえばAC問題と同様の現象は、酒害家庭以外の機能不全家庭の子供たちにもおこりうるわけで、実際、AC概念は1980年代後半に米国では Adult Children of Dysfunctional Family(機能不全家庭出身の成人)に拡大され、現在では、ACは通常はこの意味で使われています。この場合には、「機能不全家庭」という漠然とした言葉のために、ACという用語の概念がますます拡大することになります。なお両者を区別するときには、ACOA(酒害家庭)、ACOD(機能不全家庭)という短縮形を用います。
 
[日常英語のAdult Children] 
 ここでもう一度、アダルトチルドレンという言葉の由来を振り返っておきましょう。英語のChild(複数はChildren)は、日本語の「子供」という言葉と同じように、親に対する子と、成人に対する子の両方の意味があります。だから「大統領の(今は成人した)3人の子供たち」という時は、The Three Adult Children of the President と言います。つまり Adult Children は日常会話の用語なのです。
 本来、Children of Alcoholics(酒害者の子供) というフレーズの Children は親子関係の子供を意味しており、若年者に限らないのですが、Children の語感から未成年をイメージしやすいために、その子供たちが大人になった人々を意味する Adult Children of Alcoholics が使われるようになりました。そして、その人々と同じような立場にあり、同じような問題を持つが、アルコール以外の問題を含めた機能不全家庭に育った人を意味する Adult Children of Dysfunctional Family という言葉ができました。そして、Adult Children of Dysfunctional Family という言葉の後半部分を省いた Adult Children という用語が同じ意味で使われるようになりました。ただし英語の Adult Children は、前述したように「成人した〇〇の子供たち」という意味で用いられる普通名詞の日常用語です。アダルトチルドレンという言葉を理解するためには、この英語の起源と一連の流れを知っておくことがとても重要です。

[アダルトチルドレンという言葉の由来、AC、ACOA]
 アルコール依存症患者の子供として育ち、現在は成人に達した人々のことを英語で Adult Children of Alcoholics と言います。頭文字を取って、ACOAとかACとも書きますが、適当な日本語訳がなく、日本でもこれらの略語で呼んだり、またはそのまま英語読みで、アダルトチルドレン(1人ならアダルトチャイルド)と言ったりします。この用語(アダルトチルドレン、以下AC)は、1977年頃から米国のアルコール臨床にたずさわる心理療法家やソーシャル・ワーカーたちの間で使われはじめました。

[クラウディア・ブラックの登場]
 クラウディア・ブラック(Claudia Black)は、多くのACの少年期を調査して、それまでの一般常識であった、酒害家庭の子供たちは逸脱的な反社会的行動を起こしやすいという説を訂正して、著書 "It will never happen to me"(1981)(邦訳、「私は親のようにならない」、1989)で、これらの子供たちは目立つけれども、むしろ少数派であると指摘しました。そして、目立たない大多数の子供たちに対してもケアが必要であると注意を喚起しました。というのは、これらの子供たちは、混乱した家族システムに適応して少年時代を生きのびますが、思春期以後に、特徴的な感情と行動の障害を起こしやすいからです。

[4つの役割]
 ブラックは、ACの挫折や障害の起源を子供時代の機能不全家庭への適応様式にさかのぼって考察し、酒害家庭の子供たちは、暗黙のルールとして、「しゃべるな。信じるな。感じるな」という信念を持っていることが多いと述べています。また彼女は、子供たちの家庭での役割を「責任を背負いこむ者」、「順応者」、「なだめ役」、「行動化する子供」の4タイプに分けて分析しました。 
[アメリカの場合]
 ブラックが指摘し解説したAC問題は、精神医学の研究者や専門家よりも直接臨床にたずさわるソーシャル・ワーカーに受け入れられ、さらに臨床の場を離れて、マスコミでとりあげられました。1980年代前半には、AC関連の書籍がベストセラーになるなど、いわば「AC運動」が米国一般市民の中に浸透し、全米各地に多数のACの自助グループが生まれました。 
[ACOD]
 そういうわけでACは、診断名ではありません。むしろ「自分の生きにくさの由来を理解し、成長の出発点とするための自己認識、自覚」と言ってよいでしょう。「AC症候群」という用語も使われてはいますが、その概念すら定着しているとは言えません。たとえばAC問題と同様の現象は、酒害家庭以外の機能不全家庭の子供たちにもおこりうるわけで、実際、AC概念は1980年代後半に米国では Adult Children of Dysfunctional Family(機能不全家庭出身の成人)に拡大され、現在では、ACは通常はこの意味で使われています。この場合には、「機能不全家庭」という漠然とした言葉のために、ACという用語の概念がますます拡大することになります。なお両者を区別するときには、ACOA(酒害家庭)、ACOD(機能不全家庭)という短縮形を用います。
 
[日常英語のAdult Children] 
 ここでもう一度、アダルトチルドレンという言葉の由来を振り返っておきましょう。英語のChild(複数はChildren)は、日本語の「子供」という言葉と同じように、親に対する子と、成人に対する子の両方の意味があります。だから「大統領の(今は成人した)3人の子供たち」という時は、The Three Adult Children of the President と言います。つまり Adult Children は日常会話の用語なのです。
 本来、Children of Alcoholics(酒害者の子供) というフレーズの Children は親子関係の子供を意味しており、若年者に限らないのですが、Children の語感から未成年をイメージしやすいために、その子供たちが大人になった人々を意味する Adult Children of Alcoholics が使われるようになりました。そして、その人々と同じような立場にあり、同じような問題を持つが、アルコール以外の問題を含めた機能不全家庭に育った人を意味する Adult Children of Dysfunctional Family という言葉ができました。そして、Adult Children of Dysfunctional Family という言葉の後半部分を省いた Adult Children という用語が同じ意味で使われるようになりました。ただし英語の Adult Children は、前述したように「成人した〇〇の子供たち」という意味で用いられる普通名詞の日常用語です。アダルトチルドレンという言葉を理解するためには、この英語の起源と一連の流れを知っておくことがとても重要です。 
[機能不全家庭の具体例] 
 「機能不全家庭」の具体的内容としては、親(家族)の性格障害、精神障害など。養育者からの虐待(精神的、身体的、性的)。子供の自主性を認めないこと。家庭内不和。子供への無関心、ケアの不足など。同胞間での不平等など。仕事・環境・近所のストレス。子供への過重な期待などの問題があります。要するに緊張した家庭で、子供たちが安心感の持てない不安な家庭です。中でも、親や親族による子供への不適切な性的言動や性的接触は、子供の精神的成長に深刻な悪影響を及ぼします。性虐待被害者の治療の際には、しばしばPTSD(心的外傷後ストレス障害)としての認識が必要です。特に父親からの Sexual Abuse(性虐待)の場合には、解離現象を伴いやすいので注意が必要です。(解離現象→記憶喪失、多重人格、失神、ヒステリー発作、離人症など、人格の一部が意識的コント-ルから切り離される現象を言います。

[機能不全家庭から嗜癖へ]
 このような機能不全家庭では、子供の情緒的欲求は満たされず、子供たちは、慢性の情緒的見捨てられを体験します。これは子供にとってトラウマ(心の外傷)となり、子供の健全な自己愛、自尊心の発育は妨げられ、見捨てられ不安と恥辱感が心の奥深くに根を張ります。そこでは、真の自己は姿を消し、空虚感がつのります。やがて子供たちは、やり切れない空しさを埋めようとして、「偽りの自己」を作り、仮面をかぶって生きるか、物質や人、嗜癖的行動に依存するようになります。 

[ACに特徴的な心理行動パターン]
 ACに特徴的な徴候として以下のようなことがあげられています。
◆自分の判断に自信がもてない。◆常に他人の賛同と称賛を必要とする。◆自分は他人と違っていると思い込みやすい。◆傷つきやすく、ひきこもりがち。◆孤独感。自己疎外感。◆感情の波が激しい。◆物事を最後までやり遂げることが困難。◆習慣的に嘘をついてしまう。◆罪悪感を持ちやすく、自罰的、自虐的。◆過剰に自責的な一方で無責任。◆自己感情の認識、表現、統制が下手。◆自分にはどうにもできないことに過剰反応する。◆世話やきに熱中しやすい。◆必要以上に自己犠牲的。◆物事にのめり込みやすく、方向転換が困難。◆衝動的、行動的。そのためのトラブルが多い。◆他人に依存的。または逆に極めて支配的。◆リラックスして楽しむことができない。 [TOPへ]

[ACに見られやすい精神障害]
 上記のような特徴をもつACは、当然多様な不全感を持ちやすく、はっきり病気と認識されないレベルの感情、行動障害をもつことが予想されますが、臨床的にも、アルコール・薬物依存症、摂食障害、境界型人格障害などとACOAとの関連が報告されています。また、アルコール依存症者の配偶者にはACOAが多いこと、障害者のケアに当たるソーシャル・ワーカーなどの職種にもACが多いことが指摘されています。 [TOPへ]

[臨床上の問題点]
 臨床的にACとかかわっていると、表面的な社会適応性からは予想がつきにくい彼らの深い感情と対人関係の障害に直面してとまどわされることがしばしばです。ACの障害の程度はいろいろですが、治療的には一般的な個人療法の他に、教育的治療、認知行動療法、家族療法、集団療法、治療ネットワークや自助グループの利用などを組み合わせることが重要です。虐待を受けている、あるいは解離症状があるような、中等度ないし重症例では、自助グループだけでなく、専門家の治療を受ける方が安全です。このようなACとかかわる援助者と専門家には、(心的)外傷性精神障害、とくに解離症状への理解と、対応能力が必須です。 
[日本のACブーム]
 ACにはさまざまな意味合いが込められおり、その概念が整理、吟味され、既成の精神医学に組み込まれるためには、まだ今後の研究や考察が必要です。日本では、この用語は上記のブラック の著書の邦訳出版(1989)の前後から使用されるようになり、たちまちのうちに嗜癖関連問題の専門家や臨床家、患者、家族や関係者の常用語になりました。そして、1990年代後半には、AC関連書籍の出版ブームがあり、この用語はマスコミ用語となりました。 
[伝統的精神医学はACが嫌い?]
 このような一般用語としてのACは最初からACODを意味していました。そのためもあって、この語の持つ曖昧さと安易な使われ方が嫌われて、ACは伝統的精神医学からは排除されつつあり、今では嗜癖問題関係者と一般大衆の用語になってしまいました。嗜癖治療関係者の中でも精神科医師は、ACという用語を避け、外傷性精神障害、解離性障害、PTSDといった専門用語を使う傾向があります。 
[ACのいろんな意味合い-ACブームとACバッシング]
 スタート時点では、「酒害家庭で育ち、いまは大人になった人々」という意味にしか過ぎなかったACは、アメリカで「AC movement (AC市民運動 )」となった時点から、独自の意味を持ち初め、ACにいろんな意味合いが込められるようになりました。それでも、ACOA運動の盛り上がりの後で、ACOD運動が広がったアメリカでは、日本のような混乱は少なかったように思います。日本では、ACOAという起源をとばして、いきなりACすなわちACODとして、アルコール医療の臨床を離れてブームになったために、「アダルトチルドレン」という用語はひどい混乱に巻込まれました。その中には明らかな誤用もあり、たとえばマスコミで、「大人っぽい子供」とか、「子供っぽい大人」というような意味でこの用語が使用されたりしました。一方では、当然ながらACODのあいまいさに対する反撃が起こりました。この現象は、ACブームに対して、ACバッシングと呼ばれています。その一部はたとえば、「何でも親のせいにするな」というような、ひどく表面的な反発でした。ACODに含まれる「機能不全」を測る尺度はありません。臨床家は、「自分の家庭は、仲間の家庭ほどひどくなかった。自分はACの仲間に入れてもらえない」と嘆く患者や、「同じ家庭で育った兄弟姉妹のうちの私だけがなぜACなの」と問う患者に返事をする必要がありました。筆者自身を含めて、ほとんどの治療者が「あなたが傷ついたのなら、あなたはまぎれもなくACですよ」と答えたはずです。ACが他人に対する否定的な非難の言葉として使われる危険性を避けるため、また傷つきやすいACを守るために専門家からは、「ACは、本人の自覚においてのみ有用である」というようなもっと積極的な発言もありました。そうすると今度はこの発言にそって、ACバッシングとは逆方向の極端な論調に走る人が現れました。それはたとえば、「ACは、本人の自覚においてのみ使われるべきで、ACに関して、治療や予防など専門家が論じることはおかしい」といったものです。まるで、ACを政治的に不適切な差別用語にするような勢いです。

 筆者の立場は中立的です。しかしどちらかというといつもACOAという起源を意識しながらACという用語を使っています。これは、筆者がアルコール医療の中で仕事をしているからかも知れません。「酒害家庭に代表されるような機能不全家庭に育って、そこから何らかのネガティブな影響を受けて大人になった人」というほどの意味合いでACという用語を使っています。ACは病名ではありませんから、AC自体が治療や予防の対象になるということはありません。またACの全員が医療の対象になるとは思いませんが、ACは精神障害、行動障害の危険因子を抱えた人々であり、ACの一部はたとえ診断はされていなくても、虐待のようなトラウマに関係した外傷性精神障害になっています。また筆者が日頃治療している重症の摂食障害や若年の薬物乱用者の大部分は、明らかな機能不全家庭で育っており、その意味でACODです。

 ACという用語にいろいろな意味を付加するのは良いとしても、自分勝手に付加した意味を周りに強制するのはいかがなものでしょうか。筆者の考えでは、AC自体には否定的意味も肯定的意味もありません。他の一般用語と同じように、文脈次第でどちらの意味にも使用できます。
[ACの意義]
 AC問題が従来のアルコール臨床の中で、比較的見過ごされがちであった子供たちに光を投げかけ、嗜癖の世代連鎖の問題を解く鍵を与えた意義は大きいといえます。現在ではACの自助グループも多数できています。

上述のように、AC自体は治療対象、予防対象ではありませんが、現在治療中のケースにAC関連の問題がある場合には、AC問題の教育、家族療法を視野に入れて治療することが大切だと、赤城高原ホスピタルでは考えています。 

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ACについて

  1. 心身の不調。自己否定感の強い人は免疫力が弱く病気にかかりやすい。
  2. 怒りにとらわれている。愛してもらえなかった怒りがずっと心の奥に残っている。
  3. 自己不振と著しく低い自己評価。繰り返し非難されたことにより自尊心が破壊されている。
  4. 親を憎みながら親とよく似た行動。子供の頃親より虐待を受けた子は大人になると子供を虐待する。
  5. 子供返りしやすい。甘える。子供の頃の甘えることが出来ず、満たされなかった思いを取り戻そうとする
  6. 時間感覚の障害。未来が信じられない。否定的に育てられたので何でもネガティブに考えてしまう傾向がある。
  7. 記憶能力の障害。過去を我慢し過ぎ、感じまいと過ごしたために過去の記憶が思い出せない。
  8. フラッシュバック。昔の傷ついた記憶がまるでその場で再現されているように蘇る。
  9. 離人症。現実に今生きている世界の実感がなく、ベ-ルに包まれて見ているような感覚。
  10. 生きることの意味が見出せなでいる。無価値感。

次に行動パタ-ンを箇条書きにします

  1. 何が正常か推測する。
    自らの家庭が歪であったため、一般的な正常とは何か分からないと感じています。。
  2. 物事を最初から最後までやり抜くことが困難。
    家庭や両親が子供に対する約束を守ることが稀であり、約束や責任を果たすことの重要性を学んでいません。
  3. 本当のことを言った方が楽な時でも嘘をつく。
    自分の気持ちを抑えて成長してきたので、正直に自己表現をすることを学んでいません。また、正直な自己表現が家庭では許されなかったので、正直に自己表現することを恐れています。
  4. 情け容赦なく自分を批判する。
    親の期待に過剰に合わせて生きてきたので、親の期待に合わせられなかった自分を責める傾向があります。また、褒められることが少なかったので自己価値が低く、自分は褒められるに値しない人間である。まだまだダメだと感じています。
  5. 楽しむことが出来ない。
    親の期待に過剰に合わせた結果自分の感情を抑えこんでいます。したがって生の楽しみ、感情を満たし楽しむことを経験しておらず、更には恐れてもいます。
  6. 真面目すぎる。
    親の期待に過剰に合わせてきたので、好きなことをすることを自分に許可していません。したがって行動も型にはまったものとなり、型よりの逸脱を嫌います。
  7. 親密な関係を持つことが難しい。
    親から愛してもらえなかったという慢性的な淋しさを感じています。人を愛してその愛を失うことを極端に恐れ、その恐れゆえ親密な関係を自ら拒んでいます。
  8. 自分のコントロ-ル出来ないと思われる事態に過剰に反応する。
    自分に自信がないため、不測の事態に対応する能力の欠如を感じています。したがって定型を外れた不測の事態については、自分はコントロ-ル出来ないと恐れています。
  9. 他人から肯定や意見を常に求める。
    自分に自信がないので、自分の意見や行動に自信を持っていません。したがって他者より肯定的な意見を求め安心を得ようとします。
  10. 他人と自分は違うと常に考えている。
    親密な人間関係を形成出来ないなどのハンディから孤独を感じ、孤独感ゆえに自分は人とは違うと感じてしまいます。
  11. 常に責任を取りすぎるか、取らなすぎるかのどちらかである。
    子供の頃より親の期待に沿うために過剰な努力をしてきました。しかし、親の期待のハ-ドルは高く常に沿えるものではありませんでした。
    親の期待に沿えればYES、沿えなければNOの二極化思考を見に付けてしまっています。
    このあたりまで出来ればOKという、妥協的思考が欠如しているのです。
  12. 過剰に忠実。無価値なものでもこだわり続ける。
    何かにしがみついていることで安心感を得ます。愛情飢餓と関係しています。
  13. 衝動的である。
    子供の頃より自分を抑えてきたので、その反動として我慢が出来ないのかもしれません。
    また、つらい現実、家庭を直視することが出来ず、子供の頃より外に目を向け続け、虚しさを満たすために衝動的に好きに行動していることも考えられます。

さて、アダルトチルドレンについていろいろ見てきましたが、とにかく、生きづらいのです。
自分の感情を抑えているのですから当然です。
では、心に傷を負い、現実社会で行きづらさを抱えて生活をしているアダルトチルドレンは、何を自分の拠り所として生きているのでしょうか。

さて、大人になって慢性的な生きづらさを抱えているアダルトチルドレンですが、一体その苦しみの一番の原因は何でしょうか。
私自身の経験から振り返りますと、やはり自分が自分と繋がっていないことだと思います。
分かりややすく言うと、自分が自分を愛していない(自己嫌悪)、自分のことを信じていない(自己信頼感欠如)自分を信じていないので他人も信じられない(対人不信)または、自分がどう思われているかを気にし過ぎて人の視線を恐れる(対人不安)、そして、そこから来る慢性的な不安感。

すべては、自分を信頼していないこと、自分を愛していないことからきているのです。
言い替えると、自分の心の中に自分の居場所を持っていないということです。
自分を信頼していないので、当然自分の中に自分を置くことは出来ません。
したがって存在の空虚さ、慢性的な虚しさを感じてしまいます。

自分であって自分でない、そんな感じです。

では、どこに自分の拠り所、居場所を求めましょう。または、どうやって虚しさの感覚を埋め合わせをしましょう。
ここに、3つの方法があります⇒依存症の発生

  1. 人に自分の存在を委ねる。
  2. 何かに熱中する
  3. 感覚を麻痺させる

人に自分の存在を委ねる(他者の中に自分の居場所を求める)

自分を他者に委ねることは、自分の人生を他者に委ねてしまいます。委ねる方法には依存と支配があります。

  1. 依存
    自己存在の虚しさを他者にしがみつくことによって何とかしようと思います。 恋愛依存症はその代表でしょう。とにかく愛してもらいたい、その気持ちで一杯です。
    ですから、依存している相手より見捨てられることの恐れは大変です。
    なぜなら、捨てられることは、また空虚な虚しさの世界、一人ぼっちの孤独の世界に放りだされるからです。
  2. 支配
    依存が下からしがみつくというイメ-ジなのに対して、これは上からしがみつくといったイメ-ジです。
    他者の自主性を奪い、無力化することによって自分から離れていくことを阻止します。
    相手に依存させることにより自分の価値を上げ、自己存在の意義を得ようとするのです。
    (この人は私がいないと何なも出来ない)
    または、相手を無力化するとまではいかなくても、常に相手のためと一生懸命している人は、相手の必要を満たすことで自己存在の意義を満たしているので、同じことが言えると思います。 親が子を支配する
    上司と部下、対人援助職、または、恋愛依存症において見捨てることで相手を脅し支配することも含まれます。

何かに熱中する

何らかの行為に熱中することに、自己存在や自分の居場所を求めます。 この代表が仕事中毒です。
アダルトチルドレンには完璧主義の傾向があります。
常に自分に不信感を持っており、自己価値が低いので、どこまでも完璧にしないと安心感が得られないのです。
したがってこれでもか、というぐらいに仕事をします。
または、仕事の中に自分を見出しているので(人との関係性の中では自分を見出せない)仕事の世界から虚しさを感じる現実世界に出たくはありません。

これに通じるものとして、研究、習い事、趣味、読書、ゲ-ム等、様々な行為の中に自分の居場所を求め、現実世界との遊離感、自分との遊離感の埋め合わせをしています。
これらは適度なものであれば問題はないのですが、過剰に熱中していると、やはり、円滑な人間関係は築けなく、生きづらさを感じると思います。

感覚を麻痺させる

虚しさ、淋しさ、慢性的な見捨てられ感、不安の感覚を麻痺させようとします。
その代表が酒です。
アルコ-ル依存症です。

また、薬物依存もあります。
それから、食べることにより虚しさを満たす方法もあるでしょう。
過食。
度が過ぎると回復まで、大変な労力を要します。

以上3つの代表的な依存方法によって、自分の居場所を作る、虚しさを埋める方法を見てきました。

根本的問題は自分が自分と繋がっていないこと。 それゆえに、自分以外の何かと繋がろうとするのです。

でも、それでは自分が自分の人生を生きているとは言えないでしょう。
そして、常に人に振り回されたり、体をボロボロにしたり、人との円滑な人間関係を築けないなどの問題、悩みにより豊かで幸せな人生を送れません。

では、どのようにして、アダルトチルドレンはこれらの問題から回復をすればいいのでしょうか。

AC回復

アダルトチルドレンの生きづらさより回復した人達をスライバ-と言います。
アダルトチルドレンの生きづらさから回復すると、どうなるのでしょうか。

  1. 一人でいることが出来る。一人を楽しめる
  2. 淋しさに耐えられる
  3. 親のことで過剰なエネルギ-を使わない。
  4. 自分にやさしい。
  5. 他人の期待に操られない。
  6. 自分で選択をして自分で決定出来る。
  7. 選択をしたことに責任がとれる。
  8. 自分は世の中に受け入れられていると思える。

これらは、すべて自分の中に自分の居場所があることを意味しています。
他者に惑わされることがなく、自分は自分で居られることです。
では、自分の中に自分の居場所を持つためにはどうすれば良いのでしょうか。
自分が自分を受け入れるため、自分にOKを出すためにはです。

過去を振り返る

自分が子供時代傷ついたことを認めることです。
そして、それは自分にはどうしようもなかったことを認めることです。
過去の心の傷が、反応の仕方が今のあなたに影響していることを認めることです。
自分は本当はこうして欲しかった、こうなりたかったことを思い出すのです。

今の虚しさ、淋しさ、不安、見捨てられ感はいったいどこから来ているのか探すことです。
そして、それらが成長した私達を脅かすほどのものなのかを考えることも必要でしょう。
⇒人から受けた傷は、人を通して癒すしかないのです。

今と未来を変える

さて、十分に過去を認めて話した後は、これからの自分を考えなければなりません。
それは自分がどうありたいのか、どう生きたいのかです。
理想とする生き方や自分のビジョンを描き、現実社会で行動を起こさなければなりません。
過去を癒しただけでは不十分なのです。
自分に自信を付けるには今まで避けていたことをしなければならないかもしれません。
でも、大丈夫、少しの勇気があけば必ず突破出来ます。

自分が自分に居場所を求める、自分を信頼するには、理想とする自分になるために行動をしてそれが達成されたことにより、自分に自信をつけ、その自分を誉めたたえ、さらに、また、次の目標にチャレンジをして達成感を味わう。
この繰り返しが一番大切なのです。

子供の頃親より十分育ててもらえなかった何かを、成長したアダルトチルドレンは自分で自分を育てるのです。
それによって、自己成長や自信が自分に付き、自分を認めることが出来、自分を愛することが出来、自分を信頼することが出来ます。自分の中に自分の居場所を作ることが出来るのです。

また、アダルトチルドレンは人の視線を過剰に気にする傾向がありますが、これは、言葉を変えると他者の気持ちに敏感なのです。
自分を認めたアダルトチルドレンは、自分の生きづらさの原因であったことをプラスに転換することが出来るのです。
すなわち、人の気持ちの分かる自信ある魅力的な人になることが出来るのです。

このように、自分の生きづらさの原因さえも自分の魅力、プラスに変えることが出来るのです。

そして、こんなつらい人生より、こんなにも自信を持て回復したこと自体がすごいことであり、パワ-であり、そのことに誇りを持って今後歩んでいくことが出来ると思います。

今を変えれば未来が変わります。
今を変えれば過去も変わります。
(過去そのものは変わらなくても過去への思いが変わります)

決断するのはあなたです。!

批判精神と思い込み

アダルトチルドレンは自己批判・他者批判を含めて、批判的な傾向があります。
それも情け容赦なく批判をするというのです。

ではなぜ、アダルトチルドレンはそこまで批判的傾向が強いのでしょうか。
その原因をみていきたいと思います。

1 自己批判について

養育者に批判され続け育ってきたこと。これが一番大きな理由です。
本来、親が子供と接する際大切なことは、その子供を無条件に認めてあげることです。
なぜなら、子供は常に親の愛、承認を求めているからです。

ところが親が子供と接する際に、親の高い要求や基準を満たした時だけ子供を認める、もしくはその高い要求や基準を満たしても褒めない、といった事態に問題が生じます。

親が子供に対して高い基準を要求する例としては次のようなものがあげられます。
小さい子供に対して、部屋は常に埃1つなく綺麗に保つこと、習い事のそろばんはクラスで1位を取ること、姉のように賢く振舞うこと、弟妹の面倒をきちっとみること等です。
そして、子供が成長するに従って、テストでは全科目必ず80点以上を取ること、有名中学校に進学すること、習い事の絵で賞を取ること等と延々に高い規準を満たすことを要求してくるのです。

しかし、親の子供を認める要求や規準が高すぎますと、どれだけ努力しても大概の子供はその規準を満たすことが出来ません。そして、このような無謀で高い要求を行い、規準を設定する親は必ずと言っていいほど、要求や規準を満たせなかった子供に対して、批判的な態度を取ります。
「なぜ、出来ないの」「ダメな子」「要らない」「お姉さんを見習いなさい」・・・。
親からこれらの言葉を浴びせられた子供は、本当に自分のことを「出来ない、ダメな、要らない子」と思ってしまいます。
そして、出来ない自分を責めるのです。

また、親の要求や規準を満たそうと頑張って、その要求に応え、規準を満たしたのにもかかわらず褒められないと、「自分が嫌われているから褒めてもらえない、認めてもらえない」等と、やはりその原因を自分に求め自分を責めます。

これが自己批判の原型なのです。

親から褒められない、認められないのは自分が悪いからだ。自分が良い子ではないからだと、自分にその原因があると思い込んでしまうのです。
すべてを自己関連づけてしまうのです。

なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。

実は私たちが客観的に物事を捉えて考えられるようになるには、少なくとも6歳以上の年齢が必要と言われています。

それまでの子供の思考は自己中心的です。すなわちマルかバツ、100か0なのです。
したがって、何をしても親が自分に対して批判的であり、褒めないのは自分が悪いからであると自己中心的に勝手に思い込んでしまうのです。
この観点から考えますと、親の批判的な態度が子供に与える影響は、子供の年齢が幼ければ幼いほど大きくなります。
それは自己中心的な思い込みの影響を成長しても大きく受けるということです。

大人の私たちは、誰かが自分を批判してきたとしても、客観的に物事を考えることが出来、相手の主張の矛盾を指摘することが出来ます。全てに対して自分が悪いとは結論を出さないと思います。

しかし、成長したアダルトチルドレンは不思議なことに、自分に対して好ましくない他者からの評価を感じたり、周囲に対して悪い事態が起こると、その原因は自分にあるのではないか、自分が悪いからではないかと、すべてを自分の責任と推論して自分を批判して責め続ける傾向があるのです。
また、どれだけ頑張って人以上の成果を上げたとしても、それを認めず、出来ていなかった点のみをクロ-ズアップして、出来ない自分とレッテルを貼り、自分を責め続けます。

成長した大人がなぜこのような、根拠のない判断を行い、自己批判をし続けなければならないのでしょうか。

これは、すべて思い込みが原因です。それも、延々と子供の頃から続いている思い込みなのです。

子供の頃の自己中心的な「自分が悪いから親に愛されない」という思いが、「自分は悪い」「自分は出来ない人間」等、中核的な信念を形成して、何事に際しても「自分が悪いからでは」「自分の責任では」「出来ない自分はもっと努力しなければならない」と勝手に思い続けます。
これらはすべて、子供時の「自分が悪いから親に愛されない」という、誤った思い込みを継続しているのです。
これでは、成長の過程においても自分に対する自信や自己信頼感は獲得されず、自己価値も低く当然生き辛さを抱えてしまいます。

では次に、この自己批判とは対極にあると思われる他者批判について見ていきましょう。

他者批判とは自分の価値観規準に合わない他者を批判することです。
でも、なぜ自分に自信がない傾向の強いアダルトチルドレンが他者を批判するのでしょうか。

1 批判の行われている家庭で育った

私たちは親が行っていることを見て学び育ちます。したがって親が他者に対して批判的でありますと、当然私たちも他者に対して批判的傾向になります。
また、親から批判され続け成長した大人は、人に対しては人を批判をすることが当たり前となり、批判すること自体に何の疑問も持たなくなってしまいます。
人との接し方においてその方法しか知らないのです。

2 自己規準を人を当てはめようとする

私たちは何をするにしても自己規準を持っています。例えば、電車の中ではマナ-を守るべき、仕事は余裕を持って取り組むべき、勤務開始の20分前には席に着いているべき、食事は家族皆でとるべき・・・。
人は多くの自己基準、内的規準を持って日々生活を行い、その規準に照らして自分を律していると思います。
さて、この規準が自分に向かっているうちは自分だけの問題として処理出来るのですが、人に向かうと他者批判が起こるのです。
それは、人はなにかと自分の規準を他者の行動にも当てはめがちだからです。そして自分の規準に反する行動を他者が行うと受け入れ難く、反感情を抱くのです。
これが他者批判へと結びつきます。

また、アダルトチルドレンは100か0の中間のない白黒思考の傾向が強く、自己規準についても他者は守るべきと、自己基準からくるべき論を振りかざす傾向があります。
しかし、他者批判の基準はそもそも自分に対する規準なのです。
果たして自己規準で他者を評価判断することは妥当なことでしょうか。
また、その自己規準が厳しければ厳しいほど、あなたの厳しい自己規準を満たす人はどれだけいるでしょうか。

3 優越への欲求

他者批判をするということは、自分はOK、他者はNOのサインを出しているのと同じです。
もし、他者批判している人が自己価値が低いとすると、その自己価値を高めるために無意識的に他者批判を行い優越への欲求を満たしていることが考えられます。
そもそも、アダルトチルドレンは自己価値の低い傾向があり、その反動から優越への欲求が高いのかもしれません。

このように様々な理由、もしくは複合的要因からアダルトチルドレンは厳しい他者批判の態度を取る傾向がありますが、ここに共通していることは、自己中心性と思いやりの欠如です。
すべてを自分の規準で物事見るのは自己中心的であり客観的な根拠が欠けています。また、自分が子供時親より優しく接してもらった経験が少ないので、人に対する思いやり、優しさが育まれていないのです。

さて、ここまで見てきましたが、自己批判の傾向が高い人、他者批判の傾向が高い人、また、自己批判傾向も高くかつ他者批判傾向も高い人がいるでしょうが、これがどのような経緯をたどって分かれるのかは様々な要因が絡んでいると思います。しかし、基本的には、親の子供に対する態度が批判的であったことは共通しています。

そして、何よりも一番の問題は自己批判に代表されるように、子供時に得た根拠のない思い込みを、大人になった今も持っていることです。
根拠のない思い込みは真実ではなく、今を生きる私たちには必要のないものなのです。

また、思い込みに関連して前回お伝えしました、他者との境界の設定も大切です。
自分に対して好ましくない他者からの評価を感じたり、周囲に悪い事態が起こると、その原因は自分にあるのではないかと、自己関連づけて考えること。
これは「自分が悪い」「自分は出来ない人間」という子供時の思い込みの問題と同時に、すべてを自分に関連づける境界の未設定の問題でもあるのです。

子供時からの思い込みと、自分と他者の境界を、セットで見直すことも重要であると思います。

家族・親子間の固定したル-ルと役割の継続

前回、アダルトチルドレンの機能不全家族の問題として、親子間の境界がないことを挙げました。
境界がないと自分を確立することが出来ません。

今回は境界がないこととの関連で、家族間の固定したル-ルの問題と、役割の継続について書きたいと思います。

まず、家族間の固定したル-ルについてです。
例えば親が子供に愚痴を聞かせ続けます。子供は親の話しを一生懸命聞いて親をなぐさめます。
このパタ-ンがずっと続くと、家族・親子間のル-ル、すなわち子が親の愚痴を聞かなければならない、というル-ルが固定されたことになります。
もちろん親子間の境界のないル-ルです。
そして、このル-ルが固定した結果、子供はなだめ役の役割を、親子間において継続して果たすことになるのです。

アダルトチルドレンの子供時の問題は、親子間での境界がないこと、そして、家族・親子間での固定したル-ルの存在と、継続して果たす役割にあるのです。

この問題を抱えたまま、大人になりますと、子供時と同じく、自分と他者の境界がなく、子供時背負っていたのと同じ役割を、大人になっても果たし続けることになります。

先のなだめ役、親の愚痴の聞き役を、子供時の役割として果たして続けたてきた場合、大人になっても他者のなだめ役、愚痴の聞き役に徹することが考えられます。
子供時と同様、自分の本当の気持ちを抑圧して、聞きたくもない話しを聞き続け役割を果たし続けるのです。

これは過去に縛られていることであり、この縛りがアダルトチルドレンの生き辛さの原因でもあるのです。

しかし、大人になった今、子供時家族・親子間で果たしていた役割を継続して果たす必要があるのでしょうか。

ありません。

しかし、無意識的でしょうが、子供時背負っていた役割を大人になった今も、他者との関係において果たし続け、他者との境界が築けないことが生き辛さの原因ともなっているのです。

したがって、過去の親子関係、家族関係を振り返り、どのようなル-ルが存在していたのか、そして、どのような役割を果たしていたのか、そして、その背負った役割を今も継続していないか、振り返ることはアダルトチルドレンの生き辛さからの回復には大切なことなのです。

さて、ここで前回の続きです。
他者との境界がないことについて、詳細を記したいと思います。
「アダルトチャイルドが人生を変えていく本」
アスク・ヒュ-マン・ケア研修相談センタ-編より紹介です。

境界には、身体的境界、感情と意志の境界、責任の境界の3種類があります。

A 身体的境界
身体が安全で心地よく感じられるための境界です。
身体を危険や極度の消耗から守ること、不快な接触をされないこと、自分の所有物や自分の空間を相手に侵されないことが含まれます。

身体的境界を守るための、原則を示しておきます。
1 疲れたら休む
2 自分にとって心地よいかどうかを大切にする
3 あなたのプライバシ-を侵したり、あなたを物のように扱う人には近づかない

B 感情と意志の境界
自分の感情や考えを大切に行動するための境界です。
感じ方、考え方を他人にコントロ-ルされないこと。他人との違いを認めあえること、自分で行動を決定できること、思ったことを言葉にするかどうか自分が選択できることが含まれます。

感情と意志の境界の混乱を避けるための、原則を示しておきます。
1 相手の感情と、私の感情は別。私の感情は私だけのもの。
2 相手の感情について、私は責任を負わない。
3 相手の感情を、私はコントロ-ルしようとしない。
4 私の感情を表現するか、しないかは、私が選択する。
5 私の行動は、私が決める。
6 私の行動を他人がどう評価するかは、私の価値には関係ない。

C 責任の境界
あなたも相手も、自分自身の責任において生きるための境界です。
自他の責任を区別すること、共通の問題について責任とリスクを分担すること、ギブ&テイクの関係を保つことが含まれます。
責任の境界線を引けないと、誰かがあなたにもたれかかることを許したり、あなたが誰かにもたれることになります。関係のバランスがくずれ、不健康なものになってしまうのです。

責任の混乱を避けるための、原則を示しておきます。
1 相手の責任と、自分の責任は別。
  私は、自分が乗り出す前に「これは誰が負うべき責任か」を自分に問う。
2 相手に代わって自分が責任を負うことはしない。
  相手に対する自分の責任を果たす。
3 相手の問題をなんとかするのでなく、問題に悩む相手に共感する。
4 相手を困難から救い出すのでなく、相手を力づけ、必要なサポ-トをする。
5 相手の問題について責めたり指示するのでなく、事実に直面させる。

いずれにしても、自分と他者の境界をきっちりと築き、自分を守ること、自分に専念すること、他者に侵食させないと、これらはすべて自分を確立するために重要なことなのです。
そして併せて、境界の築けない原因が、機能不全家族で自分が子供時果たしていた役割を、今も継続して果たしていないか振り返ることも重要なのです。

自分を持つ 境界の大切さ

アダルトチルドレンは機能不全家族の出です。
機能不全家族の特徴は親と子供の境界がないことがあげられます。

本来親と子は別の人格を持っており、各々の個は尊重され、安全な家族生活を送るべきですが、機能不全家族では子供の個は尊重されず、親子の境界は曖昧です。

例えば過干渉。
常に親が子供をチェック、監視します。すると子供は常に何をするにしても親の視線が気になります。これは、何かする際またはその後、親のチェックから文句を言われないか、怒られないかを気にしているのです。
すると、何をするにせよ怒られないようにと親の視線を伺い、本来自分のしたいことや方法ではなく、親に怒られないためにしたいことを抑えたり、したいこととは別の方法で行うのです。

このように育てられた子供が大人になりますと、何をするにせよ周りの視線を意識するようになります。
子供時に親と子の境界がないと、大人になっても自分と他者の境界がなく、何をするにも他者の視線を意識するようになるのです。

また、親に放任され続けた子供はどうでしょうか。子供は小さいながらも思います。親が自分の面倒をみてくれないのは自分が愛されるのに値しないからだと。
そうすると大人になりますと、今まで得られることのなった愛を過剰に求め、他者との一体感、関係性に執着します。
これも自分と他者の境界がありません。

したがって、子供の時親と子の境界がないと、大人になっても自分と他者の境界のある関係を築きにくいのです。

では、自分と他者との境界を持つとはどのようなことなのでしょうか。

心理学の本や講座でよく言われている次の言葉。

「あなたはあなたでいいのです」

この言葉は、「私は私でいいのです」と読み替えることが出来ます。
すなわち、私は私でいいということは他者の視線を意識することもなく、他者にしがみつくこともなく、私は私でいられるということです。

でも、言うのは簡単です。
それが出来なくて困っているのですから。

では、自分が自分でいられるために必用なものは何でしょうか。
それは、自分に専念することです。
他者に専念するのではなく自分に専念するのです。

例えば自分の意見や話す時に他者の視線や顔色ばかり伺っている人は、自分に専念しているのではなく、他者に専念しています。

でも、他者とのコミュニケ-ションで大切なことは何でしょうか。
それはきっちりと自分の意見を伝えて自分の主張や気持ちを理解してもらい、また、それに対する相手の反応を見て、他者理解に勤めることです。

相手の視線や顔色ばかり伺っていたのでは、自分のいいたいことは言えず、結局は理解されない存在となってしまいます。また、自分自身悲しくなってしまうのではないでしょうか。
では、なぜそこまで相手の視線や顔色を気にするのでしょうか。
代表的な例としては、「拒否されたくない」「悪く思われたくない」「バカにされたくない」等、自分に対する否定的評価を怖れています。

誰だって拒否されたり、バカにされたりされるのは嫌なものです。
しかし、ここで大切なこと。
拒否する、バカにする態度を取るのは誰ですか?
答え。コミュンニケ-ションをした相手です。
これは、相手が自分に対して勝手な態度を取っているのですから、どうしようもないのです。
相手が自分に対してどういう態度を取るかは、それは相手が選択してその態度を取るのです。
私たちには相手の反応・態度はコントロ-ル出来ません。
そして、相手の反応、態度は相手の選択責任でもあるのです。
したがって相手の反応や態度をコントロ-ルすることは不可能なのです。

人とのコミュニケ-ションで大切なことは自分の思っていることを率直に、相手の気持ちを考慮(相手を傷つけることなく伝える)して伝える。
これだけです。
これが自分に専念するということです。
相手の反応に気を使うということは、相手の態度、反応及び選択に責任を負うことです。
私たちが責任を取れるのは自分自身の自己表現のみであり、それに相手がどういう態度、反応するかまでの、相手の責任までは取れないのです。

そして、もう1つの例。他者との関係にのめりこむ場合にも、自分に専念することは有効です。
他者との関係にのめりこむパタ-ンの代表は恋愛依存です。
恋人からの見捨てられることへの不安から、常に恋人とつながっていることを確認します。
しかし、これも自分に専念して、今するべきことに専念していれば、そんなに恋人のことばかり過剰に考え続けません。
恋人が今何をしているか、見捨てられるのではないかと考え続けることは相手に専念しているのです。

では、自分に専念するために重要なものは何でしょうか。

自己信頼感、自分を信じるということです。

先の相手の顔色を常に見ている場合も自己信頼感の欠如が一番の問題です。自分が自分を信頼出来ない評価出来ないということは、その評価を他者に委ねなくてはならず、常に他者評価を気にしてしまいます。
また、恋愛依存においても自分が自分としっかりつながり自分を満たしていれば、過剰に他者とのつながりを求めることもないでしょう。

恋愛依存の場合常に恋人が自分を見捨てるのではないかと恋人を疑っています。恋人を信じていません。でも、自分を信頼出来ない人間がいかに他者を信頼することが出来るのでしょうか。自分にOKを出せない人は真に他者にOKを出せません。
また、見捨てられる不安の場合は自ら抱えている漠然とした大きな不安感もその原因となっています。先ほど恋人に専念していると書きましたが、実はこの漠然とした自分自身の不安にも専念しているのです。
これも、自分が自分を信頼出来るようになると不安に支配されることはなくなると思います。

自己信頼感の獲得。
私のカウンセリングでも目指す大きな課題です。
自己信頼感の獲得は人それぞれ抱えている問題により獲得の経緯が違ってきます。
ですから、人それぞれ抱えている問題の本質に対して、人それぞれそれを乗り越えるための行動化の促進が必要となってくるのです。
焦らず取り組むことが大切だと思います。

同情の絆

今回は親と子の同情の絆について書きたいと思います。

アダルトチルドレンの親子関係で問題となるのは、子の親に対する同情です。
親の子に対する同情ではありません。親が子に同情心を持つのは普通のことです。

では、なぜ子の親に対する同情が問題となるのでしょうか。

その前に同情につきまして、その言葉の意味を明確にしたいと思います。

同情「差し迫って困っている相手の苦しみ、悩みを、相手の立場に立って理解してやり、そのうちに、いい目も出ることが有るのだから、しっかり生きるようにせよと温かい言葉をかけること」:新明解 国語辞典 三省堂刊。

簡単にまとめると「相手の立場に立ってその気持ちを感じ理解して、温かく励ます」こう捉えてもいいかもしれません。

では、再度子の親に対する同情の問題に話しを戻します。

子が親に対して同情の気持ちを持つ、それ自体は特別に問題はありません。
この同情が問題となる場合は、過剰に同情をして、同情が攻撃、罪悪感と結びついた時なのです。
そして、この過剰な同情の根底には、同情により子を自分の味方につけるという親の意図が見え隠れします。
すなわち、同情により子を縛り自分の側から離れないようにして、運命協同体(永遠の味方)を形成しようとするのです。

そして味方。味方につけるとは何に対してから味方につけるのでしょう。
考えられることは外敵です。外敵とはすなわち子から見ての片方の親。すなわち母親か父親。または親戚、近所等が考えられます。
日本の親子は母子密着と言われています。
したがって母と子の同情の絆は注意が必要です。
特に母と娘。
この同情の絆は要注意です。

では、2例あげます。
いずれも、母と娘です。
そして、2例共通の前提として夫婦の不仲があります。

1 同情が攻撃と結びついた場合

母が娘に言います。あの男(父)と結婚するのではかったと。そして、父親の愚痴を延々と聞かせるのです。娘は母の愚痴を聞き、母に同情して、母を悲しませる父を悪者と認識するようになり、父に対する敵対心と怒りで満ちるのです。
まんまと母の戦略にひっかかり、母の味方となったのです。そして、娘と父の仲を引き裂いたのです。
娘は父を敵として、父を憎んで成長するでしょう。
しかし、やがて成長した娘は感づきます。
何かおかしいと。

娘は今までの、母から刷り込まれた主観的(思い込み)な父親像ではなく、父を客観的に見るようになります。
すると、母の言っている方が、父に対する事実と違うと思えてきて、やがてそれは確信に変わります。

「だまされた」と気付き、激怒するのです。

今までの自分の父に対する態度は何であったのだろうか、すべては母の言うことを信じたから。
娘にとっては父とのかけがいのない時間を失った悲しい事実は、今度はそれを仕掛けた母に対して憎しみと怒りを持ち、攻撃となってその対象を変えるのです。

母は娘にしかけた同情の罠、絆によって、今度は娘から攻撃されるのです。
自業自得でしょうか。
でも、この親子(父、母、娘)、すべての関係性がバラバラとなってしまい、修復出来ないかもしれません。

2 同情が罪悪感より幸せを許さない場合

母は常に娘に自分の不幸な身の上を嘆き続けます。
娘は母の可愛そうな生い立ち、夫婦関係にすっかり同情してしまい、前述の攻撃の要素を持つと同時に、より強力に母に寄り添おうとします。

その結果自らの人生に誓うかもしれません。
母を置いてどこかへ行ってはいけない。母より楽しんではいけない。
母より楽しむこと、母より幸せになることに罪悪感を覚え、究極は母より幸せになってはいけないと思い込むのです。
すなわち、方法論は別として、母と同じく不幸せな道を選択するのです。

仮に恋人が出来たとしても、自分が母より幸せになってはいけないと自分に誓っていると、それ以上恋愛関係は発展しないでしょう。
そして、結婚することもなく幸せを手にすることも出来ないかもしれないのです。

母に生涯より沿い、母の愚痴を聞き続け、なだめ役に徹して、母のために生き、自分の人生を生きることをやめてしまうのです。

(例1と例2の違いはどこにあるのでしょうか。違いは娘が、父に対する事実に気づいたかどうかです。例2の場合は事実に気がつかなったのか、母の嘆きが誇張であるにせよ、娘も同じように感じているのかもしれません。しかし、いずれにせよ、これは夫婦の問題であり子が責任を負うことではありません)

さて、ここまで親による子を取り込む戦略、同情により子を味方につけ縛る方法を、母と娘を例として書いてきました。

2例とも夫婦関係、夫婦の不仲から子供を味方につけようとして始まっています。
子供を味方につけるため、片方の親の悪口や自分の愚痴を言い続け、聞き役に徹している子供の同情心を誘います。
そして、子供を自分の中に取り込み、運命共同体を形成していくのです。

しかし、逆に考えると夫婦関係に問題がなければ、このような事態は発生しないのではないかということです。

アダルトチルドレンは機能不全家族の出です。
夫婦仲が悪く、親が子供に愚痴を聞かせ取り込むことは、親と子の境界がなく、子供の個が尊重されておらず、機能不全家族といっても問題はありません。

しかし、夫婦関係がしっかりとしており、それにより上述2例の事態が発生しないのであれば、機能不全家族の問題の根源の1つとして、機能不全夫婦の問題が上げられるのではないでしよぅか。

機能不全家族の問題としては世代間連鎖の問題(アダルトチルドレンの親は、その親もアダルトチルドレン)があげられますが、親が自身のアダルトチルドレンの問題を克服、もしくは気付いているのであれば、例え夫婦の間に問題があったとしても、自分の子供に自分と同じ生き辛さを体験させてはならないと考え、子供を呑み込むようなことはしないと思います。

また、より健全な方法としていかに夫婦関係を良くするか、そちらにエネルギ-を向けるでしょう。

健全な夫婦関係も機能不全家族の連鎖を止めるのに大変有効なのです。

親に対する罪悪感について

アダルトチルドレンの機能不全家族の大きな問題の1つに、親と子の境界がないことがあげられます。

では、親と子の境界がないとはどのようなことでしょうか。
具体的には親の価値基準、判断基準、親の発する言葉等が子供の人生を縛ると言ってもいいかもしれません。

例えば親の期待に応えなければならないという縛りがあるとします。もちろんこの縛りの前には常日頃親が子供に対して、親の何らかの期待を言い続けたり、期待に応えた時だけ子供を褒めたり、期待に応えない子供を無視したりと、常に親の期待を子供に刷り込ませるのです。そして、子供はその家庭で生き延びるためには親の期待に沿うしかなく、成長した子供は、意識的無意識的にせよ、常に親の期待に沿うようにと自分の人生を考え、親の期待に基づく人生を歩みます。

次の例です。親が常に子供の容姿をけなし続けたとしたらどうでしょう。子供は親からけなれた言葉の容姿のイメージをいつまでも持ち続け、自分自身に対する客観的な評価が出来ず、親からのマイナスの評価で自分を見続けてしまうかもしれません。まさに親の発した言葉が呪いのように子供を縛りつけるのです。

この2つの例、ともに親と子の境界がありません。2例とも親の期待や、親の醜い言葉を自分の規準、自分の評価としており、その結果自分の人生を歩むことや、自分自身の自己評価を築くことが出来ません。親の評価・価値・言葉が自分自身の判断評価基準になってしまっているのです。

さて、ここまで親と子の境界のない例をみてきました。
これをイメージするならば、親が子供を呑み込むイメージです。
ですから、子供は成長して大人になっても、常に親に呑み込まれており、親の期待、言葉に子供の時と同様縛りつけられ、自分自身自由に自分の人生を歩くことが出来ないのです。

したがって、成長したアダルトチルドレンは親から精神的に独立、自立すること、自分自身の判断評価を確立すること、そして親の縛りを解き放つことが自分の人生を歩むうえで一番大切なのです。

さい、ここから本題です。
今回は「親に対する罪悪感について」とタイトルをつけました。

私がアダルトチルドレンの方のカウンセリングをしていると不思議に思うことがあります。
それは、親を憎みながらも、親を嫌いながらも、何か親のことを過剰に気にしているのです。
親子だから当然という意見もあるかもしれませんが、この、親に対する気遣いが自分の生き辛さになっていることが多々あるのです。
そして、この気を遣うということが罪悪感に基づくことが多いのです。

例えば、親と子は経済的に独立をして別々に暮らしています。
しかし、親は子離れが出来ておらず、未だに子供に対して自分の価値や期待を押し付け、かつ、顔が見たいと要求して、子供に対して週末は実家に帰ってこいと電話で指示します。
アダルトチルドレンの子供は、実家に帰る必用はないと思いながらも、帰らないと親が悲しむと気を遣い、親を悲しませてはいけないと罪悪感を抱き、嫌々ながらも実家に帰るのです。
そして、その結果、親の価値判断や期待の言葉、または雑言を浴びせられ、不快な思いをして、落ち込んで自分の家に帰ってくるのです。
そして、誓います。
「二度と行くものか」と。
しかし、またしばらくして親から連絡が入ると罪悪感を感じて、実家に帰り同じことを繰り返すのです。

一体、この親に対する罪悪感は何でしょう。

実は私も経験があります。
まだ大学生の時です。私は結婚をしないで一生母親の面倒を見ようと、わけの分からないことを思っていました。結婚=罪なのでしょうか。
なぜ、こう思っていたのか当時は分かりませんでしたが・・・。

それから、この親に対する罪悪感の問題ですが、親とは母親を示すことが臨床体験上多いです。

では、なぜここまで親に対する罪悪感を抱かなければならないのでしょうか。
自分が親から離れて自由にすることに対して、なぜここまでも罪悪感を抱くかです。

アダルトチルドレンは子供の時、親から散々に支配されてきました。
上述のように親の期待、評価、価値観に合わせる、それ以外にも親の愚痴を聞く、親の精神的面倒を見る等、親が子供を支配をするつもりがあろうがなかろうが、常に子供は過剰なまで、親を意識して生きてきたのです。
親の顔色を伺い、親の期待に合わせようと、認めてもらおう、元気になってもらおうと、悲しませないでおこうと、精一杯親に合わせて生きてきたのです。
そのため健全な親子の境界は築けませんでした。

そして、そのような子供時を過ごした子供は大人になっても、親に対する意識をすぐには払拭出来ないのではないでしょうか。

機能不全家族でなくても子供は親を意識します。
しかし、機能不全家族、アダルトチルドレンはその親に対する意識が過剰過ぎるのです。
子供の頃過剰なまで親を意識してきたので、大人になってもやはり過剰に親を意識しており(この意識とは無意識的であることが多いと思います)、自分が親の要求を満たせないと感じると、感じなくてもいい罪悪感を勝手に抱いてしまうのです。

では、ここで大切なことは何でしょうか?
それは、アダルトチルドレンが親に対する罪悪感を持たないことです。

今まで親の期待、価値、言葉に合わせ過ぎて生きてきました。
これは親の期待、価値、言葉を子供が背負うことを意味しています。
しかし、本当に必要なことなのでしょうか。
親の期待、価値、言葉等はすべて親のものです。
私たちには関係ありません。

親に対する罪悪感の問題で大切なことは、親と子の境界の設定を引くことなのです。
子供の頃様々な問題を設定することが出来なかった境界を引くのです。
親に惑わされず、自分の人生を歩むのです。
親は親、自分は自分。
互いの個の尊重が大切です。

もう1度書きます。アダルトチルドレンが親からの精神的独立のために一番大切なことは、親と子の境界を確立することです。
そして、境界を侵入された際は毅然たる態度を取り、境界を守ることも必用なのです。

私たちが変われば親も変わるのか

私たちが変われば親も変わるのか?

皆さんはこのテ-マについてどう思われますか?

これは当たり前のこたえになってしまうのですが、親によって反応が違います。

例えば、子供(ここでいう子供とは成人のことです)が人付き合い出来ないことで悩んでいる親がいます。親は薄々自分たちの育児態度が原因で子供が人間関係を築く能力がないことを知っています。そして、子供が自己努力の結果、人間関係を築くことが出来るまでに成長しました。すると親も子供の日々の態度や顔つきの変化を見てとり喜びます。
そして、自分たちの至らなさを反省しながらも、子供の成長に合わせ、親の態度、顔つきも明るいものに変わっていくのです。
この例は子供の変化に合わせ、親も反省をして、さらには親の表情までよくなっていく好例です。
子供が変わると同時に親も変わったのです。

では、実際このような好例はどれぐらいあるのでしょうか?
統計がないのではっきりとは書けませんが。
あまり期待は出来ないように思えます。

さて、上例は子供が努力して変わって、自然と親も変わっていく例でした。
では、どれだけ子供が自己変革の努力を達成して、その内面や態度振る舞いがかわっても、親が変わらない場合(例えばあいかわらず押し付けがましい、支配的、無理解・・・)。
私たちは親に対してどういう感情を抱けばいいのでしょうか。

自分の生き辛さの原因を知ったこと、物事の捉え方が変わったこと、感じ方が変わったこと、過去の見方が変わったこと、過去を受け入れたこと、新たなスキルを手に入れたこと。
「自分は変われるんだ。自分は変わったんだ」
今まで抑えていたフタが取れ、エネルギ-に満ち溢れたこの新鮮な気持ちを誰かに伝えたい。
分かります。

では、この素直で純粋で新鮮な気持ちを親に知らせる必要があるかどうかがポイントです。

自分が変わったことを親に知らせて何を親に望みますか?
もし、伝えたいと思うのであれば何を伝えたいと思っているか、その背後にある感情を理解したうえで行ってください。

前回も書きましたが、多くの場合は親は親でなかなか自分の非を認めないものなのです。
それは、親も一生懸命生きており、子供の育て方については、そのやり方しか知らなかったからです。
子供が自分が変わったということを親に知らせるということは、まったく悪気がないとしても、親の立場に立つと自分が否定されているような気持ち、攻撃されているような気持ちを抱くかもしれません。

私たちがアダルトチルドレンであるということは、その親もアダルトチルドレンです。
根っこは同じです。
そして、子供がアダルトチルドレンの問題を受け入れ変化するというとは、進歩していることを示します。
しかし、残念ながら親は進歩としていないのです。いや、アダルトチルドレンという言葉すら知らないかもしれません。

ですから、進歩、進化のレベルが違うので同じ視線に立って、この問題について話すことは難しいのです。
方や理解しており、方や無知なのですから。

自分は変わったんだという気持ち。
大切です。
でも、それを理解してもらう相手は選ばなければなりません。
同じ悩みを抱いたり、同じく回復を目指していたり・・・。

自分を理解してくれる人でないと、自己開示は危険です。

さて、私たちず変わると親が変わるのか。
最後に最も危険なパタ-ンです。
それは、親が子供を変わらせまいとしがみついてくる場合です。

例えば子供は自立を目指して家を出ました。すると、親の方から毎日状況確認の電話、帰って来いの催促、たまに家に帰ると以前と同じような過干渉、暴言、否定等。
実家に帰ったとたん憂鬱になってしまいます。
そして、この憂鬱感は家(1人暮らし)に帰っていも持続してしまいます。
親は子供を手放すまい、自分が支配をしておきたいと必死なのです。(但し、このことについては親は意識せず、無意識の領域で行っていると思いますが)
そして、どこまでも追いかけてきて子供を精神的に苦しめてしまうのです。

このような親にいかに向き合うか、距離と時間と心の限界、これらを考慮してどうするのか。
これは個々人によって結論が違ってきます。

いずれにせよ大切なものは何か。
この結論により行動・態度は変わってくるでしょう。

親を謝らせることは出来るのか

アダルトチルドレンの方のカウンセリングをしていると、「今までのことを親に謝って欲しい」という言葉をよく聞きます。

これは、今までの親の子供に対する態度について、親に反省をしてもらい謝罪してもらいたいという、気持ちの表れだと思いますが、はたして可能なことなのでしょうか。

まず、どうやって親に謝罪をさせるつもりなのでしょうか?
謝罪をさせるということは、「お前が悪い」ということを認めさせようとする態度です。
すなわち、自分が今生き辛いのは、父母の育児態度の問題からこうなった、謝罪しろと相手を責めるわけですから、責められた父母がそれを認めて謝るかどうか・・・。
自分の生き辛さと親子関係、育児態度の関係を論じて親の気持ちが動くかどうか疑問です。

その理由を下に紹介します。

まず、親もまたその親から同じような育てられ方をされた可能性が高いということです。もし、そうなら親の言い分としては「自分もそうして育てられた、なのにお前はどうしてそれが出来ない、耐えられない」となります。人は自分を規準として物事判断します。自分が基準ということは自分が正しいということです。ですから、子供の言うことに聞く耳もたないのです。

次に親の精神的問題として子供を私物化していることがあげられます。私物化とは自分の持ち物として扱っているわけですから、持ち物が自分に逆らうことは考えられないということです。子供は自分の意志を持ち意志に基づく行動をしてはいけないのです。親子関係は1対1の人間関係ではないのです。

親としての自負。子供を自分が育ててきたという親の自負があります。これは、アダルトチルドレンの親に限らず、大概の親はこの自負を持っているのではないでしょうか。
親は親で子供を育てるために、経済の維持、家の維持等のため大変な苦労と努力をしてきました。そこに、いきなり子供の方から、自分の生き辛さと親子関係を論じられても、訳が分からず、また親の自負心を傷つけるものになりかねません。

また仮に親も自分の息子、娘が生き辛さを抱えているのを知っており、何か自分の育児態度に問題があったと思っていたとしても、子供が正面きって自分の生き辛さと親子関係を論じてきたとしたら、親も守りに入り、子供を攻撃してくると思います。これも親の自負です。また、人は自分が非難されていると感知すると自動的に守りに入るものなのです。

いずれにせよ、親を謝らせるということは極めて難しいのです。

でも、ここで考えてみましょう。
仮に親が謝ったとして、あなたの人生変わるのでしょうか?
あなたの人生の豊かさにつながるのでしょうか。

親が過去のあなたに対する態度を謝ったとしたら、親子関係の問題が改善されるという効果を期待されるのかもしれません。
しかし、本当にそうですか。
親が仮に謝ったとしたら、親が自分の非を認めたことになります。
ということは、あなたは自分が正しいという認識を持つわけです。
ここに自分は正しく、親は間違っているという図式が成立するのです。
もし、この式を常に振り回したとしたらどうでしょう。
「親は間違っていた」「自分は正しい」常にそう思い、そういう態度で接することになるのではないでしょうか。
もしそうなら、これはパワ-ゲ-ムです。
いずれ親の逆襲もあるでしょう。
お互い理解し合うことなく延々と争いを繰り返すことにもなりかねません。

親を謝らせる。
本当に必要なことですか?

私は言いませんが、よくカウンセラ-が「親の気持ちも考えてみたことありますか」と質問されることが多々あるようです。
それで自分の生き辛さから回復されるわけでもなく、親子関係がよくなるとも思えないのですが。

でも、親は親で苦労してきたこと、また、親もアダルトチルドレンであることを考えてみると、これは、親の問題というより、アダルトチルドレンの世代間連鎖の問題であると鮮明に思えるかもしれません。

誰のせいで自分が生き辛さを抱えているのか、犯人探しはやめた方がいいでしょう。
これは、血縁の問題、世代間連鎖というシステムの問題なのです。

そして、生き辛さを抱えているのは自分の問題です。
なぜ、自分が生き辛さを抱えているのか理解することは大切です。
でも、理解したあとは、自分の生き辛さをしっかりと自分自身が受け入れ、自分の問題として解決していくことが大切なのです。

私たちは人を操作、変えることは出来ません。
変えられるのは自分だけです。

では、ここで疑問です。
自分が変われば親も変わるのでしょうか?

次回はこのテ-マで書きたいと思います。

親と子の生殺与奪

今回の内容について。
親子関係、機能不全家族関係の悩みで生き辛さを抱えている真っ最中の方は、読まないことをお勧めします。
アップしようかどうか悩みましたが大切なことと思いアップします。
しかし、読まれた後、気分を害されても責任は持てません。
ご自身で判断のうえお読みください。

親は子供に対する支配により子供の人生を抹殺することが出来ます。
子供に対する過剰な期待や支配心から、過干渉、おどし、罵声、暴力等により、子供の意志と自由と感情を抑圧して、心、個性、人間らしさを抹殺するのです。

一例をあげます。
親が子供に対してエゴに基づく期待(将来は外科医にするため)により、小学生高学年の子供に1日12時間以上の勉強を強いたとしたらどうでしょう。
その子供は勉強が嫌いでしかたありません。友達と遊びたいと思っています。
しかし親は強制的に勉強をさせようとします。
親は子供に対して、いかなる手を使い支配(勉強させる)するのでしょうか。
「勉強をしないのなら出て行け」「バカはさっさと勉強しろ」等の過干渉、言葉の暴力に始まり、やがて叩く、殴る等行き過ぎた行為態度に出てくることもあるでしょう。
このようにして、親は完全に子供の人格を踏みにじって接してくるのです。

人格を踏みにじられ、勉強を押し付けられた子供は、どのような心理状態になるのでしょうか。
勉強が嫌な気持ち、したくない気持ち、逃げたい気持ち、または勉強をしても成績があがらない場合は無力感、罪悪感、悲しみや怒り等の自分の本当の気持ちを抑圧して勉強机の前に座り続けることでしょう。
そして、何を言っても理解してもらえない慢性的な悲しみと怒りを感じ、またはその悲しみと怒りさえ、机の前に座り続けるのに邪魔なものであれば、感情を排除して無感覚、無感情に徹して、自分を殺して親のために勉強し続け、苦痛に耐え続けるのです。

さて、今回は親と子の生殺与奪について書いていますが、「勉強をしないのなら出て行け」この親のセリフ。まさに親の子に対する生殺与奪です。
親の期待に応えず、言うことを聞かないのなら出ていけ。お前を養ってやる代わりに親の言う通りにしろという親のエゴに基づく自己主張。身勝手以外何ものでもありません。親の支配権行使による、子供に対する生殺与奪なのです。
出て行きたくても、出ていけない子供は親の言う通りにするしかなく感情を抑圧して自分を殺すのです。

親は子供の肉を生かす代わりに、子供の心を殺すのです。

心を殺された子供は親に従うしかなく、自分の心を完全に抑圧して生き続けることになるのです。
やりたくないということをはっきり意識しながらも、そこからくる止めたい気持ち、逃げたい気持ち、心の叫びを抑え続け、無感情、無気力、無反応になっていくのです。

さて、迫害者は犠牲者へ。
犠牲者は迫害者へ。
立場の逆転が転じる時が来る時もあります。

子供からの親への反撃です。
まず、2パタ-ンみましょう。

親から押し付けられていたことに対して我慢出来なくなった瞬間切れるのです。
家の中を滅茶苦茶にしたり、親を殴ったり、外で暴れまわったり、溜まりに溜まった怒りのエネルギ-が大放出されたのです。
でも、これは正常な反応です。
誰だって抑圧され続けたらどこかでぷっつんするものです。

そして、次の例が怖い例です。
子供による親殺しです。

子はなぜ親を殺すのでしょうか。理解出来ますか?
なかなか理解出来るものではないと思います。
でも、私は何となくですが、ケ-スによってはその気持ちが分かるような気がします。

では、3パタ-ン見てみましょう。

ひとつは先ほどのぷっつん。衝動です。
我慢し続けてきました。そして、これ以上耐えられないと瞬間的に前後のことを考える間もなく凶行に及ぶのです。

そして次。
積もりに積もった憎しみの果て、何かのきっかけで怒りの炎により視野が狭くなり、冷静さが一時的に失われ凶行に及ぶのです。ぷっつん、衝動というより怒りに全身が覆われるそんな感じでしようか。そして事が終わった後で大変なことをしてしまったと冷静になり自首します。

3パタ-ン目。
衝動で殺すのではなく、無感情、無感覚、投げやりな気持ちで凶行に及ぶのです。
もう、どうでもいいような気持ちではないでしょうか。
直接殺害に及ぶ場合もあるかもしれません、または親、家族の巣である家を燃やそうとするかもしれません。この時、家を燃やしたら親兄弟が巻き添えになるかもしれません。でも、この時子供は認識しています。巻き添えで死んでも構わない。どうでもいいのです。
彼らは凶行に及んだ後ゲ-ムセンタ-にいたり、公園で寝ていたり、逮捕時後悔の念がないことがあるとよく報道されています。

それはどうでもいいからです。言葉を変えると無感情、無感覚、起こした出来事に対して感じる感覚が麻痺しているのでしょう。
逆に言うとここまで追い込まれてしまった。
感じる心を潰されたのです。

機能不全家族の子供が親を殺すとすれば、その子供の心はそれ以前に親により殺されているのです。

また犯罪を起こした子供も罪に問われます。
いくら親が憎いといえ殺人は懲役です。一瞬の感覚に身を任せて凶行にはやり、罪を一生背負うのも、それこそ人生を潰してしまいます。
また、犯罪は起こしてはならないものなのです。

このような悲惨なことが起こらないためにも、常に親と子の意志疎通、心の交流、コミュニケ-ションは大切なのです。

そして、未熟な大人が結婚して機能不全家族を形成して、子供の心を潰さないためにも、親になる者を対象とした親業のための教育、カウンセリングも必要ではないでしょうか。

アダルトチルドレン(共依存)チェック表

「フリエルのアダルトチルドレンと共依存の診断一覧表」
質問に対して、はい、いいえ、で答えてください。


私は毎週、自分のことをするために十分な時間をとっている。
⇒はい 0  いいえ 1

だれかといっしょにいた後で、長い間自己批判をする。
⇒はい 1  いいえ 0

人が自分のことでなにかを知ったとしても、いやな気持ちはしない。
⇒はい 0  いいえ 1

ときどき自分がずいぶん無駄な時間を過ごしていて、何もできないと思う。
⇒はい 1  いいえ 0

自分のことはちゃんとできる。
⇒はい 0  いいえ 1

ほかの人が誰かをじゃましているなどと、当人に言わないのが一番だと思う。
そんなことをしたら、ケンカになったり人を怒らせることになる。
⇒はい 1  いいえ 0

私の成長期には、家族のコミュニケ-ションがよかったので嬉しく思う。
⇒はい 0  いいえ 1

ときどき、自分がどう思っているのか、わからなくなる。
⇒はい 1  いいえ 0

親密で愛情ある生活に満足している。
⇒はい 0  いいえ 1
10
最近、疲れを感じる。
⇒はい 1  いいえ 0
11
私の成長期、家族の問題をオ-プンに話すのが好きだった。
⇒はい 0  いいえ 1
12
私は悲しいときや怒っているときに、幸せそうに見られるときがある。
⇒はい 1  いいえ 0
13
自分の人間関係の量や種類に満足している。
⇒はい 0  いいえ 1
14
たとえ時間やお金があったところで、自分の休暇をとっ
ても楽しいと思わないだろう。
⇒はい 1  いいえ 0
15
毎日するべきことすべてに、十分な手助けをしてもらっている。
⇒はい 0  いいえ 1
16
今していることよりも、もっとたくさんのことをやれたらよいのにと思う。
⇒はい 1  いいえ 0
17
私の成長期に、家族は感情や愛情をオ-プンに表現するように教えてくれた。
⇒はい 0  いいえ 1
18
権威を持つ人(上司や先生)に話しかけるのは、むずかしい。
⇒はい 1  いいえ 0
19
非常に複雑で込み入ってきそうな関係のなかにあるとき
そこから脱出するのはむずかしくない。
⇒はい 0  いいえ 1
20
自分はだれなのとか、どんな人生を歩みたいのかという
ことを考えるとときどきひどく混乱してくる。
⇒はい 1  いいえ 0
21
自分の処理欲求の仕方に満足している。
⇒はい 0  いいえ 1
22
自分の仕事は不満だ。
⇒はい 1  いいえ 0
23
自分の問題はたいてい穏やかに、そして直接処理する。
⇒はい 0  いいえ 1
24
人を傷つけたくないし、人に悪く思われたくないので自分
の感情をおさえることが多い。
⇒はい 1  いいえ 0
25
自分が「決まりきったつまらない生活をしている」と思うことはほとんどない。
⇒はい 0  いいえ 1
26
友だちとの友情に満足していない。
⇒はい 1  いいえ 0
27
だれかが私の感情を傷つけたり、私のいやなことをして
もその人にそのことを言いにくい。
⇒はい 0  いいえ 1
28
親しい友人や肉親が、私がしてあげようと思っている以
上のことをして欲しいと頼んだ場合、とにかくまず「はい」
と言うことが多い。
⇒はい 1  いいえ 0
29
新しい問題と取り組むのが好きで、その解決方法を見つけるのが得意である。
⇒はい 0  いいえ 1
30
自分の幼児期は、あまりよくなかったと思う。
⇒はい 1  いいえ 0
31
自分の健康は、そんなに心配していない。
⇒はい 0  いいえ 1
32
だれも本当の自分のことをわかっていないと思うことがよくある。
⇒はい 1  いいえ 0
33
私はいつもだいたい落ち着いて安定していると思う。
⇒はい 0  いいえ 1
34
自分の望んでいることを頼むのは難しいと感じる。
⇒はい 1  いいえ 0
35
ほかの人には、私が許せる以上に私は利用させない。
⇒はい 0  いいえ 1
36
親しい人間関係のなかで、最低一つは不満なものがある。
⇒はい 1  いいえ 0
37
大切な決定をするのは難しくない。
⇒はい 0  いいえ 1
38
新しい状況では、自分を信じたいと思うほどには信じられない。
⇒はい 1  いいえ 0
39
いつ腹蔵なく話しをするか、いつ人の希望を聞くかということが上手にわかる。
⇒はい 0  いいえ 1
40
仕事以外の時間がもっとあればいいのにと思う。
⇒はい 1  いいえ 0
41
自分がそうありたいと思う程度に、自然体でいられる。
⇒はい 0  いいえ 1
42
一人でいることはむずかしい。
⇒はい 1  いいえ 0
43
私の愛する人が私のじゃまをしたら、そのことを難なくその人に言うことができる。
⇒はい 0  いいえ 1
44
ときどき一度にいろいろなことが起きて、どれひとつしてちゃんとできない。
⇒はい 1  いいえ 0
45
ほかの人が私の生活のなかにかかわってきたり、「本当
の私」を彼らに知ってもらうことは、とても気分のよいことだ。
⇒はい 0  いいえ 1
46
私の言ったことやしたことでほかの人に謝ることが非常に多い。
⇒はい 1  いいえ 0
47
誰かのことで腹をたてているとき、それをその人にたやすく言うことができる。
⇒はい 0  いいえ 1
48
することは多いのに時間がない。ときどきすべてを放り出したくなる。
⇒はい 1  いいえ 0
49
これまでの人生においてやってきたことで、後悔することはほとんどない。
⇒はい 0  いいえ 1
50
私のことよりも、人のことを考えることが多い。
⇒はい 1  いいえ 0
51
私の人生は、まずまず自分の望んでいたようになってきた。
⇒はい 0  いいえ 1
52
人が私を困らせるようなことをしても、私が非常にものわ
かりがいいので、みんなは私のことを感心する。
⇒はい 1  いいえ 0
53
自分の性的魅力について悪い気はしない。
⇒はい 0  いいえ 1
54
ときどき私の親しい人のふるまいが、恥ずかしいときがある。
⇒はい 1  いいえ 0
55
私の人生にとって大切な人々は「本当の私」を知ってい
るし、そのことは平気である。
⇒はい 0  いいえ 1
56
私は自分のなすべき仕事はしているが、やりすぎることが多い。
⇒はい 1  いいえ 0
57
私の努力や注意が足りないために、何もかもダメになる
というようなことはないと思う。
⇒はい 0  いいえ 1
58
他人のためにやりすぎては、後でなぜそんなことをしたのかと思う。
⇒はい 1  いいえ 0
59
私の成長期の家族の問題の対処の仕方を思うと、幸せを感じる。
⇒はい 0  いいえ 1
60
いっしょにものごとをやってくれる人が、もっといればいいのに思う。
⇒はい 1  いいえ 0

集計について
奇数ナンバ-の質問に「いいえ」、偶数ナンバ-の質問に「はい」と答えると、それぞれ1点を与えます。
つまり最大得点は60点になります。

10~20点は軽い共依存でアダルトチルドレン気味。
21~30点はやや共依存的。
31~45点はかなりの共依存的。
45点以上は深刻な共依存状態となります。

強迫性障害とアダルトチルドレン

強迫性障害とは自分でもバカバカしいと思ってはいるけど、やめるにやめられない、思考と行動を繰り返して考える、または繰り返して行うことを指します。
強迫観念と強迫行動です。

例えば神社で不謹慎なことを考えると罰が当たると思っている強迫性障害の方がいます。
でも、人の思考はコントロ-ル出来るものではありません。
したがって場所を問わず不謹慎なことを考えてしまいます。神社であってもです。
強迫性障害の方は神社で不謹慎なことを考えてしまうと罰が当たると思っているので、その不謹慎に考えたことを取り消さなければならないという衝動にとらわれます。そうしないと、不謹慎なことを考えた自分には罰が当たるからです。
取り消しの方法は人様々です。思った不謹慎なことを頭の中が白く消えるまでイメ-ジしてみたり、一旦神社を出てまた神社に入って、今度は絶対不謹慎なことを考えず無事出ることを試みたり。
手段は違えど不謹慎なことを考えたという事実を打ち消そうとするのです。
しかし、打ち消そう、考えまいとすればするほど人間とは不思議なもので、かえって不謹慎なことを考えてしまうものなのです。
そして、またまた考えたことを打ち消そうと何度も何度も同じことをするのです。

この神社で不謹慎なことを考えたら、それを打ち消さなければならない、そうしないと罰が当たる。これが強迫観念です。そして、その強迫観念のもと打ち消す行動行為が、強迫行動なのです。

次の例です。家を出ようとします。ガスの元栓、電気消灯、鍵をかける。安全のために確認すべきことは多々あります。通常ですと、1回か2回確認をして人は外出します。
しかし、強迫性障害の場合は何回も確認をするのです。それは、本当に元栓が締まっているか、電気を消したか、鍵をかけたか不安なために。確認不安。
本当は元栓も締めたし、電気も消した、鍵をかけたにも関わらず、忘れたのではないかと強い不安に襲われる。これが強迫観念です。そして、その観念に基づき行動することが強迫行動です。

神社での不謹慎な思考、確認不安、共に本人はバカバカしいと内心は思っているのですが、不安には勝てないのです。

さて、強迫性障害の説明が長くなりました。
では、この症状とアダルトチルドレンの関係はどのようにあるのでしょうか。
強迫性障害の方の基本的性格特徴は繊細、言葉を変えると気にしすぎることと、不安感の強さがあげられます。

では、気にしすぎることと不安感の強さは、どのようにして強迫性障害を引き起こすのでしょうか。

まず、気にしすぎるということですが、気にしすぎるとは、何らかの対象に対して気持ち、注意が固着することを意味します。
すると、自分にとって嫌なこと、不安なことを感じると、そのことがいつまでも頭から離れず苦痛を体験します。
そして、不安感の強さからその嫌なこと、不安なことが現実になるのではとさらに苦痛を強化するのです。予期不安。
この頭から離れない苦痛が強迫観念。そして、苦痛を何とかしよう、取っ払おう、現実になるのを防ごうとする試みが強迫行動なのです。

強迫観念の場合何を気にしすぎるか、苦痛を感じるかは人様々です。
しかし、共通していることは自分にとって起こっては困る事態が起こるのではと、強い不安を感じるのです。

神社で不謹慎なことを考えると罰が当たる。罰の内容は人様々です。自分が会社を解雇される、恋人に捨てられる等、体験している本人がもっとも恐れていることが現実になることを防ぎたいのです。
家を出る際の確認不安。これも、外出中自分の責任による失火、盗人等を恐れて確認を何回もしてしまうのです。

さて、アダルトチルドレンですが。アダルトチルドレンも気にしすぎる性格、そして漠然とした不安感の強さを持っています。

そして、気にしすぎること、不安感の強さ共通の根源は自己信頼感の欠如、自己不信だと私は思います。

アダルトチルドレンは機能不全家族の影響により、親からあまり認められることがなく、自己受容出来ていないことがあります。これは自己不信を形成します。そして、自己存在の不確実性を感じます。これは何をやっても不完全感と不確実感に発展します。
また、アダルトチルドレンの親からの度重なる過干渉も問題です。何か行動をした後、そのことについて親から都度チェックが入り「出来てない」を連発されますと、自分はどれだけ完璧にやっても出来ていないのではと、不安に覆われてしまいます。したがって自分のしたことに対して「出来た」「OK」の自己感覚を持てないのです。これも自己不信です。
そのため何回も同じ行動を取って出来ているかどうか確認をしてしまうのです。

また、強迫性障害の方の思考特徴の1つに完璧思考があります。黒か白か、100か0か、中間の曖昧がありません。
これも、アダルトチルドレンの思考特徴の1つと重なっています。

強迫性障害の症状があるからと言っても、すべてをアダルトチルドレンと関連づけるつもりはありません。
しかし、機能不全家族のひとつの症状として強迫性障害の問題が起こったとしても不思議はないのです。

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